こんにちは、小野哲平です。
歌舞伎役者の付き人という珍しい仕事をしていました。
付き人って何?という方はこちらをどうぞ!
付き人歴は以下の通り。
- 八代目中村芝翫(当時橋之助)付き人
- 2007年~2009年(三年間)
- 2016年10・11月、2017年1月 成駒屋襲名の為一時復帰
付き人という仕事は舞台裏でのサポート、つまり後方支援です。
身の回りのことを手伝って旦那が気分良く舞台に向かう。
そのために付き人は存在しています。
ざっくり言うなれば
- 舞台上の仕事 → お弟子さん
- 舞台裏の仕事 → 付き人
と分類してもいいでしょう。
お弟子さんが付き人の仕事を兼ねるときはありますが、
その逆(付き人がお弟子さんの仕事を兼ねる)は基本的にありません。
その理由は明白で付き人は専門職ではないから、です。
衣装や化粧道具、役に必要な小道具…全然わからないよ!!
ここまで説明すればもうお分かりと思いますが、
付き人は役者ではありません。
なので舞台に立つことはありません。
いいですか?
付き人は舞台に立たないんです。
では、それを踏まえた上で、
ぼくが付き人時代に歌舞伎の舞台に立った話をしていこうと思います。笑
歌舞伎思い出話が好評なので次は「ぼくが歌舞伎座に立った話」でもしましょうかね。過去に何度か書きましたが今のブログではまだ書いてないので。前々から応援してくださる方は聞き飽きてる(笑)でしょうが新しくフォローしてくれた歌舞伎好きにとってはそこそこ楽しい話になるかと…!!
— 小野哲平@孤独な俳優ブロガー (@yen_town1014) April 11, 2020
2008年8月 歌舞伎座
一番最初にそれが起きたのは2008年8月納涼歌舞伎。
この月の目玉は何と言っても野田秀樹さんが演出する野田版 愛陀姫。
オペラのアイーダを元にした新作歌舞伎です。
美濃の領主である斎藤道三の息女濃姫(勘三郎)は、密かに思いを寄せる木村駄目助左衛門(橋之助)を、父の道三(彌十郎)に認めさせようと思っています。そこで濃姫は、家臣の多々木斬蔵(亀蔵)が城下から連れてきた祈祷師の細毛(福助)と荏原(扇雀)を使い、駄目助左衛門に隣国織田家との合戦の先陣役に任じるお告げが出たように見せかけます。そして駄目助左衛門は見事に功を立てますが、実は濃姫の下女の愛陀(七之助)に思いを寄せており、先陣の功として愛陀を賜ろうと思っているのでした。やがて美濃に織田軍の捕虜が連れられてきますが、愛陀が父と呼んだ人こそ、織田信秀(三津五郎)。実は愛陀は織田家の息女であったのです。一方、濃姫は愛陀が恋敵と知り、また愛陀は祖国の尾張のために働こうとし…。
この作中に芝翫さん(当時橋之助)演じる駄目助左衛門が凱旋する場面があります。
歓声をあげる民が舞台上を埋め尽くし、そこに功績をあげた駄目助左衛門が勇ましく帰還する華やかな場面です。
しかもそのとき乗ってるのが…象。
舞台上に巨大な象が登場し、その上に芝翫さんが乗っています。
とは言え本物の象が出てくることはなくビニールで膨らんだ象です。
下にタイヤがついていて、家来役が引っ張るとゆっくり移動します。
下手から出てきてそのまま舞台上をUターン。
舞台中央で芝翫さんを降ろしてそのまま下手に消えていきます。
出番にして約2分。
この象…ぼくが中に入って動かしてました。
決まった経緯
話は遡ること舞台稽古。
納涼歌舞伎は新作をやることが多く本番前の舞台稽古は例年深夜に及びます。
その日も他の演目の稽古は無事に終了し、最後は愛陀姫だけ。
ぼくはいつものように芝翫さんに付いて仕事をしていました。
結構遅い時間だったと思います。
何か用事があって一度楽屋に戻ってたぼくが再び舞台袖に戻る途中で、
芝翫さんが「てっぺいがいるよ!」と大きな声で誰かに言ってました。
え…はい。いつもいますけど何か??
と思いつつ、はい!と返事して舞台上に向かうと、
そこにいる役者がみんなぼくを見ています。
…え、なにこれ?
そこからはあまり覚えていません。
とにかく言われたのは
- この場面は皆出てるから誰も象を引けない
- てっぺいしかいない
ということでした。汗
何が何だかよく分からないまま象を操縦することになりました。
ビニールの象の中央に人ひとりが入れるスペースがあって、左右の手に力を込めて前に押すと、タイヤが回り始めて象が動くという仕組みです。手動の象です。
画質荒いけど当時の写真がありました!
少しだけ練習させてもらって動かし方も動かすタイミングもわかりました。
しかしひとつ問題が。
いつ引っ込めばいいのかわからない…
芝翫さんが象から降りたらすぐいなくなっていい、という演出でしたが、
ぼくは象の中にいるので芝翫さんが見えません。
でもそんなこと言い出せません。
野田さんも勘三郎さんも福助さんもいる前で、
ぼくはとても言い出せませんでした。
その困った様子を見て、ある役者さんがこう言ってくれました。
俺が引っ込みの合図出してやるよ!!
か、か、か、神様~!!
その役者さんは象を引っ張る家来役で象と一緒に登場。
そのままずっとぼくの視界にいます。
象の鼻についてる紐を引っ張ると象の鼻が上に動く、通称パオーンをしてる人です。
パオーンさま~
ここで舞台稽古再開。
ぼくはその役者さんを信じました。
そして出番。芝翫さんを乗せて象発進です。
ゾウ、いきまーす!
ゆっくり舞台上を旋回して停止。
芝翫さんは降りたかな。もう出た方がいいのかな。
ぼくは狭い視界の中でその役者さんをずっと見ていました。
…
…
……ずっとパオーンしてる~!!ヽ(#゚Д゚)ノ
象、遅いよ!!!!
野田さんの声と共に場面が止まってしまいました。
すぐに象から出て謝りました。
すいませんでした!!!
おおおおおおーい!!ずっとパオーンしてましたやん!!!
と言う間もなく、もう一度同じ場面の稽古です。
そのときのぼくはもう心臓バクバクで死にそうでした。
芝翫さんが声を掛けてくれました。
ぼくが降りたら引っ込んでいいからね
そ、それはわかってるんですぅ~とは言えずに
はい!ありがとうございます!と言いました…
絶対絶命の中、同じ場面がきました。
あああ…これはヤバイ。これはヤバイぞ。
象を発進させて中央に停止。もうパオーンは信じない。
舞台上の芝居の雰囲気で行くしかない。
耳だ。耳を使え。
ぼくは神経を尖らせてこれ以上ないくらい集中しました。
そのときです。
ぼくは…あることに気付いて、ふと上を見上げました。
…
…
…めっちゃ芝翫さん見える~!!!
そうなんです。緊張のあまり象の中で「見上げる」という動作をしていなかっただけで、
見上げれば普通に芝翫さんが見えたんです。降りたのもすぐ分かる。
冷静に考えたら透明の象だから当たり前です…
それでそのまま本番も問題無くこなしたんですけど、この舞台稽古は生涯忘れられません。
象、遅いよ!の野田さんの甲高い声は今も耳に残っています。
冷静に考えたら野田秀樹にダメ出しされたって凄いよな~(ポジティブ)
めちゃくちゃ緊張しましたが、建て替え前の歌舞伎座に立たせていただいた貴重な思い出です。
2008年11月 平成中村座(浅草)
お次は浅草での平成中村座。
10月、11月の二ヶ月興行で10月は仮名手本忠臣蔵の通し、11月は法界坊でした。
平成中村座の醍醐味として、舞台後方が開いて野外が見えるというものがあります。
法界坊の最後は写真のように舞台が開いての立ち回りです。
この舞台が開いたときに後ろのパネルが左右に入れ替わり移動します。
右にあるのが左に行って、左にあるのが右に行く。
パネルを使った視覚演出です。
この月はそのパネルを動かしていました。
これは…そんなに大変じゃなかったです。
舞台上に立った、というよりも場転の手伝いをした月です。
この月の法界坊がシネマ歌舞伎になってます!
2009年9月 平成中村座(名古屋)
その翌年の平成中村座。この年は名古屋でやりました。
座組は2008年11月と同じ。演目も法界坊。
と、いうわけでまたパネルを動かす予定だったのですが、
この月は…そのまま舞台に出てました。
2008年はパネルを動かしてそのまま舞台裏から楽屋に戻るだけ。
しかし名古屋では何故か花四天の拵えをして、勘三郎さんを取り囲み、
ヤァ!ヤァ!とグルグル回って引っ込み。
そしてなんとそのままカーテンコールにも出てました。
拍手浴びてました…
これ…どうしてこういうことになったのか全然覚えてないんですよね。
ただお弟子さんに拵え方法を学んで一人で素早く支度が出来るように練習した記憶はあります。
カーテンコールは毎回超満員で、単純にすげぇ~って思ってました。
愛陀姫のときと違うのは、ぼく自身が舞台上に登場してるので、
芝居をしている勘三郎さんを舞台上で、間近で見れたことです。
愛陀姫のときは象越しでした(笑)
何もかもが、いい思い出
このようにハッキリ覚えているのと、そうじゃないのがありますが、
計3回、歌舞伎の舞台を舞台上で手伝わせていただきました。
ちょっとだけのお手伝いと言えども付き人の仕事に加えて、ですからね。
隙間時間に黒衣や花四天に拵えして従来の仕事をこなして、
サッと舞台上を手伝ってまた仕事着に戻る。
慌ただしかったけど、自分の頑張りが作品に直結してるような気分で楽しかったです。
何もかもが、いい思い出です。
以上、今回は付き人時代に歌舞伎の舞台に立った思い出について書きました。
他にも色々書いてるので良ければお読みになってください!