『夢の実現』を目撃したことがありますか?
スポーツ選手なら大きな試合に勝利したとき、お笑い芸人なら賞レースで優勝したとき、ミュージシャンなら憧れのステージに立ったときでしょうか。
我々が意図せずとも世界は夢の実現で溢れ、テレビやインターネットでは日々誰かの『夢の実現』を報じています。
それらは前に進む勇気や諦めない強い気持ち、仲間との絆など、あらゆる感動をぼくらに与えてくれます。そして感動はパワーに変わり、パワーは行動に変わり、ぼくらの未来を少しずつ変えていきます。
誰かの夢の実現は誰かの活力にもなり得るのです。
人は常に影響し合って生きてます。
ではここで質問を変えます。
あなたは、『夢の始まり』を目撃したことはありますか?
テレビやネットで報じられるのはいつだって『夢の実現』です。そうではなく、その夢に向かって走り出した瞬間、『夢の始まり』を見たことはあるでしょうか。
ぼくが橋之助さんから夢を語られたのは今よりずっとずっと前の話です。
渋谷のカフェでした。
ぼくはまだ20代で、彼は10代。
本名の中村国生で活動している頃です。
彼は夢を語りました。
「いつか三兄弟で自主公演を打ちたい。それには歌舞伎役者以外の人にも出てほしい。哲平くんに出てほしい。」
そのとき彼は言いました。
大歌舞伎にはまだまだ遠い、僕らの公演は小歌舞伎だ。
そのときのぼくは「いつかこの夢が実現して三兄弟と一緒に舞台を作れる日が来たらいいな」くらいにしか思っていませんでした。決して戯言には聞こえていなかったけど、まだ現実味を感じることができないほど彼が幼かったのが正直な感想です。
それから数えきれないくらいの時間が流れました。
襲名を終えて活躍の場を広げ、どんどん遠くに行ってしまう三兄弟を友人として誇らしく、それ以上に同じ役者として思うように活躍できていない自分を情けなく感じる長くて苦しい日々が続いていました。
そんなある日、橋之助さんに呼ばれました。
歌舞伎座近くの喫茶店です。
彼は言いました。
「自主公演をやる。哲平くんに出てほしい。」
ぼくの頭に、あの日の渋谷のカフェが蘇りました。
あれからずっと、ぼくがそのことを忘れていたときでさえ、彼はずっと夢を叶えようと戦っていたのです。
そのときのぼくは今以上に役者の仕事が上手くいかず、例年ないくらいに気持ちが沈んでいました。
「自分は誰にも必要とされてないのでは…」
役者であれば誰もが抱く不安です。
しかし橋之助さんはぼくを必要としてくれました。
あのときの幼い彼ではありません。
歌舞伎はもちろん、歌舞伎以外の舞台にも立ち、明治座で主演を務め、ミュージカルにも挑戦し、日々戦い続けてる四代目中村橋之助です。
その彼が、あの日と同じようにぼくを必要としてくれたのです。
あの頃と違って、ぼく以外にも沢山の役者仲間がいることでしょう。
それでも彼は、ぼくに声を掛けてくれました。
なんてことはない。ぼくを必要としてくれてる人はずっと身近にいたのです。
ぼくがよそ見をしていただけで。
ぼくは即座に出演を快諾しました。
断る理由がないからです。
大切な人に必要とされている。
こんなに嬉しいことはありません。
神谷町小歌舞伎。
あの日、渋谷で語ったときと変わらず『小』歌舞伎です。
いつか大歌舞伎へ。
出演、といっても主役はもちろん成駒屋の皆々様。
ぼくは今回最後にチラッと出るくらいです。
でも…弁天ですよ?
まさか自分が歌舞伎の名作に出演するとは思いませんでした。
何度も観たことがある演目です。
わずかの出演なので、皆様のお目にかかる表部分はちょこっとですが、裏のことは何でもやろうと思います。
何を隠そうぼくは元付き人で裏のプロです。
何でもお任せください。
血が騒ぐぜ!
大好きな成駒屋の皆さんが気分良く舞台に向かえるよう、全力で皆さんをサポートします。
成駒屋あるところに哲平あり。
成駒屋の家臣として、記念すべき『神谷町小歌舞伎』の第一回、全力で成功に導きます。
大きな大きな夢への始まり、是非とも劇場でご覧ください!!
『第一回』を見たら一生自慢できるよ!
そ、し、て!!!!
神谷町小歌舞伎の公式インスタでは毎日宣伝リールが投稿されています。
こちらからどうぞ!! → 神谷町小歌舞伎Instagram
なんか面白そうだったのでぼくもインスタ始めてみました!!
こちらです!! → 小野哲平Instagram
毎日更新してるので是非フォローしてください!
稽古の様子もアップします!!
では繰り返しになりますが、
大きな大きな夢への始まり『神谷町小歌舞伎』、是非劇場でご覧ください!!
待ってます〜!!!