前回はこちら。
高齢者が皆歌舞伎に興味があるわけではない、ということで「歳を重ねること≠歌舞伎に興味を持つ」ということが説明できた。
つまり彼らは歳を経て歌舞伎に近付いたわけではなく、各々の人生で「歌舞伎に興味を持つ機会があった人たち」ということになる。
家族や知人の影響、あるいはTVドラマから歌舞伎役者を好きになり劇場に足を運ぶ。その理由は千差万別だが、とにかく「歌舞伎に興味を持つキッカケがあった」のだ。
そしてそれは年齢軸とは違うベクトルの出来事である。
つまり、その論理で考えるならば年齢は関係なくなる。無論「年長者の方が自由に使えるお金を持ってる」という考え方で劇場に年配の方が多い理由はある程度説明できるが、そうでなくとも歌舞伎に興味を持つことは「年齢に関係なく」できる。
ただ機会があればいいだけだ。
なので問題は切符代以上に「歌舞伎に興味を持つキッカケがないこと」だとぼくは強く思う。
当然松竹はそこまでを踏まえている。
その結果がワンピース歌舞伎やNARUTO歌舞伎、来年上演されるファイナルファンタジーだ。ぼくはこれらを2.5次元歌舞伎と呼んでいる。もともと相当数のファンがいる題材を歌舞伎化することで、これを期に歌舞伎を観てみようと思う新規ファンを開拓する。
実際にぼくがワンピース歌舞伎を鑑賞したときは客席に若い人が沢山いた。幕間にはお婆ちゃんと孫らしき二人組が筋書きを開いて互いが持ってる歌舞伎の情報とワンピースの情報を交換してたくらいである。大変微笑ましい光景だった。
また、それらの公演には歌舞伎役者以外の舞台役者が参加することも多い。そうすることで従来の演劇ファンも自然に歌舞伎に足を向かうことになるという算段だ。
確かに単体で考えればそれらの公演は成功してると言える。実際すごく盛り上がっているし、客席も埋まっていることだろう。
しかしそれらの公演をキッカケに歌舞伎の本流、いわば古典と呼ばれている演目に新規ファンを入れ込むのは、多少無理があるのではないかとぼくは思う。2.5次元歌舞伎を観て「次は古典を観よう、もっと歌舞伎に詳しくなろう!」となる人は少ないだろう。だって別物だから。
個人的には「歌舞伎を知らない層を2.5次元歌舞伎に呼ぶ」よりも「2.5次元歌舞伎を好きな層を古典に呼ぶ」方が難しいのではないか、と感じている。
歌舞伎そのものの動員を増やすのが目標であれば、2.5次元歌舞伎の存在は大成功である。
これからも有名な題材を歌舞伎化しまくればいい。
しかし、「古くから伝わる伝統的な演目を現代社会の人にもっと知ってもらい、歌舞伎座に足を運んでもらう」という方向で物事を考えた場合は成功してるとは言い切れないのではないだろうか。
それはそれ、これはこれ。
広義では「歌舞伎(全体)を守っている」が狭義では「歌舞伎(伝統)を守れていない」。
2.5次元歌舞伎を始めとする新作歌舞伎を量産することは、その公演を盛り上げることに留まり(無論良いことである)、その先にある真の意味での「歌舞伎ファンの新規獲得」には辿り着けていないのだ。
続く。