すごく当たり前のこと過ぎてわざわざ書くのも恥ずかしいのだが、人生は「好きなものが多いほど楽しい」。これはもう覆しようのない既成の事実である。
モラルの範囲内であれば好きになる対象は何でもよい。
色んな出版社のコミックを何冊も好きになれば、ほぼ毎月何かしらの新刊が発売する。
映画は毎週新作が公開されてるし、好きな俳優・監督を増やせば観たい作品は無限に増え続け、生きてる間に全てをチェックするのは不可能だ。
食事に興味を持てば、街を歩いて見掛ける飲食店の看板に心奪われるし、テレビの番組のグルメ情報も楽しみになる。
本を好きになれば苦しい満員電車でも車内広告で新しい本の情報に出会えて胸が躍るかもしれない。
スポーツを好きになれば毎日何かしらの試合は行われているし、その結果を知るのが楽しみになる。
乗り物を好きになれば移動が楽しい。車が好きなら珍しい車を見ただけで気分が上がる。
ファッションに興味を持てば、繁華街は行き交う人たちのファッションショーだ。まだ見ぬオシャレにきっと出会える。
何かひとつを深く愛することも素晴らしいが、「ちょっと好き」レベルのものを沢山増やしておくことは人生を楽しむ上で重要な要素なのである。
と、ここまで偉そうに書いたが、そんなことは冒頭で断ったように誰でも知っている。
知っていて何故うまくいかないのか。
その唯一の問題は「好き」という感情が気まぐれだということであろう。
何でもそうだが、好きになろうと思って好きになれるものではない。
むしろ好きを強制されたら人は冷める。
好きという感情は、いきなり現れることもあれば当人の知らず知らずのうちに近寄っていることもある。未知数なのだ。
だからこそ言いたい。
今、何かちょっとでも好きだと確信できるものがあるのであれば、それはとても貴重で尊い。
わずかに興味があるくらいでも構わない。
自身でコントロールできない感情が自然に芽生えたのであれば、それは大切にすべきだと強く思う。
そしてその感情から目をそらさずにしっかり向き合う。
自分が何が好きなのか、を自覚していない人はとても多い。ぼくもそうだった。
場所でも音でも色でも、些細なことでも自分の興味を知ることができれば、少しずつ好きなものが増える。
好きなものが増えれば人生は豊かになる。
言うまでもなく、人生を豊かにするのは「能動的な自分」だという話だ。
楽しく生きましょう。
ぼくも貴方も。