コラム(不定期更新) 怖いネカフェの話

♯14 サプライズ

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サプライズ○○があまり好きではない。

要するに本人に内緒で何かをする、ということだ。やる側もやられる側も苦手である。

 

苦手と言いつつもこれまで自らサプライズ企画を用意したり、友人にサプライズでお祝いをしてもらったことは多々ある。

その全てに苦い思い出があるわけじゃないし、楽しい時間もたくさんあった。

 

ただ、もういいかなと思うのだ。

 

サプライズという言葉は昔からあったが、日常的に「これサプライズでやろうよ」と使われ始めたのはぼくが随分大人になってからだ。いつからか「サプライズ」という言葉が一人歩きして、その言葉を使いたい人たちによって難しく考えずに何でもかんでもサプライズと言い始める傾向を肌で感じていた。

 

大したことじゃないのにサプライズ。普通にやればいいのにサプライズ。

ただの流行り言葉、つまりは一過性のブームに過ぎないのだ。

 

今となっては、最初は面白かったが何度も使い回され酷使されるうちに全くその面白さがなくなってしまったお笑い芸人のギャグみたいな雰囲気を感じる。

 

どうせサプライズでしょ、的な。

更にサプライズしている方は相手側を喜ばせようと善意でやってるので、サプライズされた側は嬉しくなくても気を遣って喜んだフリをしなければいけない。

 

途中から薄々勘付いていても知らないフリ、サプライズが起こってから半ば強制的に驚く演技。

正直、何これ?と思う。

 

何度も言うが最初は良かったのだ。本当に知らないから驚けたし心から喜べた。しかし今は「サプライズ」が世の中に浸透し過ぎている。

 

サプライズが起きる前に「あ、これサプライズでやるやつだ…」と気付くケースのが遥かに多いだろう。もうこうなったら祝福される側の負担でしかない。なので今後はシンプルに「事前に」教えてほしい。

 

もし友人が仕掛けたサプライズで食事の最後に自分に誕生日ケーキが運ばれてきたら、お腹いっぱいでも食べなければいけないし、友人の気分を害さないようにちょっと大きめに喜ばなければいけない。

 

それが事前に言うだけでだいぶ変わる。

 

「今日最後に○○の誕生日ケーキくるから」

その時点で普通の人なら感謝する。そしてその感謝の大きさはサプライズされたときと大差ないはず。

 

なのに何故わざわざサプライズにするのか。

 

喜ばせたいから?

 

違う。驚かせたいからだ。

 

それはもう仕掛ける側のエゴでしかない。驚きが重なって喜びが倍増することはない。あくまでも喜びは喜び、驚きは驚きである。一緒にしてはいけない、混ぜるな危険。

 

それでも、もしサプライズにこだわるのであれば成功する方法はもはやひとつしかない。

 

相手の想像の上を行くのだ。

これだけサプライズに溢れている世の中ならば多少のことは気付く。だから相手がサプライズだと気付いても、その先に何が起きるかを想像できないくらいのサプライズをかませばいい。

 

「あ、これケーキが出てきて誕生日祝ってくれるやつだ」と思ってる相手に対して、見た目は普通で中は殺人級に辛いケーキを出せばきっと相手は驚くだろう。

サプライズだから過度にリアクションしなきゃいけないと思って何の疑いもなく喜び、いつもより大きめに口を開いてケーキを食べる。

 

その場で昇天だ。辛さで涙を流すかもしれない。

でもそこにきっと喜びはない。

 

このように驚きを追求すると、そこに喜びはついてこない。

サプライズの最終的な目的が驚かせることであるならば相手の想像を遥かに越える案を出し進めればよい。しかし最終的な目的が相手を喜ばせることであるならば、もうサプライズでなくてもいいとぼくは思っている。

 

驚きは驚き。喜びは喜び。

混ぜるな、危険。

 

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