コラム(不定期更新) 怖いネカフェの話

♯73 舞台をやらなくなって

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大学時代の先輩と数年ぶりに再会した。

 

Facebookの通知で先輩の誕生日に気付きお祝いメッセージを送ったことがキッカケで、ぼくと先輩、他二人を交えて食事をすることに。昔を懐かしむ、笑いの絶えないとても楽しい時間だった。

 

1つ上の先輩と共に過ごしたのはもう15年程前。卒業してからも交流は続いていたが、ここ何年かはコロナの影響もあってパタリと連絡が途絶えていた。

 

ぼくが舞台に立たなくなったから、である。

今日はその話をしよう。

 

この先輩に限った話ではないのだが、ぼくが舞台を立たなくなったことで疎遠になってしまった知り合いは多い。言わずもがな、ぼくが主催の舞台をやると応援してくれる人たちがこぞって観に来てくれる。同級生や先輩後輩、昔のバイトで一緒だった人など我が人生のオールスターズがみんな集まってくれる。

 

そして舞台の宣伝が連絡を取る口実にもなるので、古い友人たちの近況も知ることができる。

 

舞台を観に来てくれることも嬉しいが、そうやって自分の人生に関わってくれた人ひとりひとりと連絡を取り合う時間も好きだ。そして友人同士もぼくの舞台に共に行くことを口実として連絡を取り合い、当日に再会して食事をするのが恒例になっていたりする。

 

言うなれば、ぼくの舞台は一種の同窓会なのだ。立派な社会貢献である。

 

それがパタリと途絶えた。

コロナである。

 

舞台が次々に中止になった感染初期に比べると、だいぶ演劇もチカラを取り戻しつつあるがそれでもぼくは今現在は舞台をやろうとは思わない。

 

この場合の舞台とは「自分が主催する舞台」であるが、どう考えてもリスクが高すぎるのだ。

どれだけ熱心に稽古をしても感染者がひとり出れば即中止。誰もが知ってるようにもう個人の努力だけで感染を防げる状況ではない。

 

今現在も、「初日は無事に開いたが2日目から中止」となってしまった不運な作品をチラホラSNSで見掛ける。関係者の悔しさたるや想像するだけで辛い。
いち出演者として関わるならまだしも、自分が主催の舞台では責任も重く、中止になってしまった際の精神的・経済的負担を考えると恐ろしくて震えてしまう。

 

と、なるとやはり舞台はやらない。というかやれないが本音である。怖い。

 

そして舞台をやらないことは、舞台告知で連絡を取るかつての友人との交流機会の損失に繋がる。更にぼくの舞台鑑賞を理由に集まっていた友人同士の交流もなくなり損失の連鎖は広がり続ける。

 

いやマジ、コロナなんやねん。

 

しかしここまで書いておきながら気付いてしまった。

舞台告知なくても近況報告すればいいやん、と。

 

「コロナで会えないこと」と「交流機会が減ること」はリンクしてるようで実はしていない。

自分次第でいくらでも改善できる。

 

と、頭ではわかっていても「あいつは最近何してるのかな」と気軽に連絡できないのが自分の情けないところである。

 

やはり口実が欲しい。

口実は偉大だ。

 

そんなこともコロナに考えさせられている。

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