前回まではこちら。
歌舞伎の家に生まれるか否かで全てが決まる歌舞伎の世界。
どんな大名跡であろうとも「結局子供が継ぐんでしょ?」と言われたら「それはまぁそうなんだけど…」と言わざるをえない。そこにどんなドラマがあろうとも興味ない人には「内輪で盛り上がってる世界」くらいの印象しかない。
何度も言うが、それを含めての歌舞伎であり世襲制を否定する気持ちは更々ない。
しかし、問題は「公に不平等が確立してるこの世界に飛び込みたい若者がいるのか」ということである。
遥か昔は代々○○家の奉公をする家系、が当たり前に存在していたが、今は令和。個人のチカラが叫ばれている。
「あなたは歌舞伎の生まれじゃないから、誰々のお弟子さんになって一生身の回りの世話をしなさい。良い役なんてできません。」
外部から歌舞伎界に入る人はこう言われているに等しい。実力主義の落語界とは違う。
ぼくも内部にいたから実感しているが、歌舞伎は本当に血筋が全てである。舞台上だけでなく裏での扱いも雲泥の差。生まれながらにして神様扱いされている家もある。60過ぎの大人が膝をついて3歳児に挨拶する世界だ。
何度も言うが否定はしない。ただ、アイデア次第で誰もが主役になれるこの時代に、わざわざ「誰かの影として生涯生きる」ことを選択する人がいるのだろうか。
無論、ゼロではないだろう。それを上回る勢いで歌舞伎への思いがあれば飛び込むと思う。それはそれでいいことだ。だが実際問題として歌舞伎役者は減っている。どれだけ綺麗事を並べても数字が事実を証明している。
新しく入門する人も年々減っているし、それ以上にお弟子さんが辞めていってるのだ。それも始めてすぐのお弟子さんだけではない。何年、何十年も勤めたお弟子さんさえも辞めている。
これは由々しき問題である。
どうしても幹部俳優だけが華やかにクローズアップされるが、歌舞伎はひとりではできない。舞台上の端役だけでなく、着付け、小道具管理、化粧品の管理、楽屋作りなどお弟子さんが担当すべき裏方の仕事も沢山存在する。
舞台上の後見(早着替えを手伝ったり小道具を渡したりする役目)は長年の鍛錬が必要なモノもあるので、そういう意味でもベテランのお弟子さんが辞めることは歌舞伎界における大きな損失になる。
このままお弟子さんの廃業が続けば、いつか歌舞伎は(物理的に)上演できなくなる。
しかし新しい人を入門させようにも「生涯誰かの弟子として生きる」のは令和の若者の人生観にそぐわない。
難しい局面にきている。
では、どうしてお弟子さんが辞めてしまうのか。
次にお金の話をしようと思う。
続く。