コラム(月木更新)怖いネカフェの話

♯106 駅前で見た光景

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待ち合わせしてたんですね、駅前で。

なんか結構早く着いちゃって、でもどこかで時間潰すには微妙な時間だなって思って、そのまま駅前に立ってたんですよ。

 

そしたら3人組の親子が向こうから歩いてきたんです。

お父さん、お母さん、その後を歩く男の子。大きなメガネをかけた男の子はおそらく小学2年生か3年生くらい。可愛らしい顔して、わりと小さい子でした。

 

で、その3人組の雰囲気が明らかに悪いんです。皆つまらなそうに下を向いて無言でこちらに歩いて来ました。

 

何ていうか、喧嘩したあとに漂う空気って第三者から見てもすぐわかるじゃないですか。あのどんよりした重たい空気、まさにあれです。

 

あぁ多分ここに来るまでに楽しくないことがあったんだろうなぁって直感的に思いました。

 

段々ぼくの近くに近付いて、目の前を通り過ぎるときに、両親の後ろを歩いていた男の子の足がピタっと止まりました。先に数歩進んでいた両親は自分の後ろに我が子がついてきてないことに気付き、振り返って男の子に近付きました。

 

少しの間、無言で目を合わせる3人。

構図は完全に両親vs男の子でした。

 

両親はともに40代くらい。もしかしたら30代後半かもしれません。

全然派手じゃなくて、おとなしそうな、どこにでもいる普通の夫婦です。

 

沈黙が続き、やがて男の子が口を開きました。

 

少し距離があったので完全に聴こえてたわけじゃないんですけど、その男の子は、自分が普段両親に思っていること、改善してほしいことをゆっくりと、そして次第に大きな声で訴えました。

 

「僕はこう思っているのにいつもお母さんはこうだ!」

「お父さんのこういう態度に僕は耐えられない!!」

 

何故ぼくがこの話を書いているかというと、その主張をした男の子の姿が忘れられないからです。

 

短い人生で知り得たわずかな言葉を使って、自分の気持ちを、心からの叫びを全身で両親に訴えていました。まるでダムが崩壊したように次々に言葉が溢れて、それはどんな作られた演技よりも素晴らしい大きな感情の波でした。

 

両親は黙って男の子の主張を聞いていました。

男の子が全て出し切るまで待っていたのでしょう。

 

道行く人が振り返るほどの大きな声で自分の主張を叫んだ男の子はやがて身体にあるものを出し尽くしたかのように、その表現を止めました。

 

次の瞬間でした。

 

その言い終わりを待っていたかのように父親が思い切り、男の子の頭にゲンコツを食らわせました。

 

軽くではありません。

思い切り、まるで拳で瓦割りをするかの如く、強くゲンコツを男の子の頭の上に振り落としました。

 

近くで見ていたぼくも「え?」と声を漏らす展開です。

ゴツっと鈍い音がして、男の子はその場に倒れ、両手で頭を抱えて大泣きしました。

 

それを黙って見ている両親。

男の子は泣きながら更に声を張り上げて自分の気持ちを叫びました。

 

話を聞いていて分かったのは、「男の子がキャッチボールをしたいと親におねだりをして、親子3人で出掛けてやってみたはいいけど、思うように盛り上がらず失敗に終わった。その帰り道である。」ということです。

 

男の子が叫び疲れ、その息継ぎの間に今度は母親が話し出しました。

 

「最初から上手くできる人なんていない。○○くんも一生懸命練習して出来るようになったんだよ。」

おそらくキャッチボールとか野球の話なんだと思います。しかしその言い方は決して優しくなく、傍目から見ると厳しい物言いでした。子供の目をしっかりと見つめ、まるで世界の真実を伝えるようにまっすぐに。

 

違う、と思いました。

 

ぼくもワガママな子供だったのでよくわかります。

男の子が欲しかったのは正論ではなくて、おそらく共感だろうと。

 

「練習すれば上手になる」なんて子供でも分かります。そうじゃなくてキャッチボールができないなら「うわ!キャッチボールって難しいね!お母さんもできない!笑」という、上手くいかないことを互いに笑い合ったり認め合ったりすることで「できない自分を肯定」してほしかったと思います。少なくともぼくが小さい頃はそうでした。

 

ぼくはこの家族のことを何も知りません。

 

もしかしたら男の子は癇癪持ちで時折こういう状態になってしまい、両親はほとほと疲れてしまっていたのかもしれません。

または、こんなことはいつものことで、家に帰る頃には仲良く会話しているのかもしれません。

 

ただ間違いなく言えるのは、子供が自身が知ってる言葉を総動員して全力で親に何かを伝えようとした際に、その主張を無力化する大人の暴力など絶対にあってはいけないということです。

 

そして正論だけを言うのであれば、少なくとも自分はそれを完遂できている人間であるという多大な自信がなければいけないということです。

 

自分も出来もしないのに、子供にだけ正論を押し付けるのはおかしい。

その後、無言のまま両親は男の子を置いて歩き出し、男の子はその数歩後ろを泣きながら付いていきました。

 

付いていくしかないからです。

子供だから。

 

別にこの家族が虐待をしてるとか間違った教育とかそういうことを言ってるのではありません。

 

ただ正直な気持ちを精一杯主張したあとに、言葉での反論ではなく暴力で制した父親は、その一点に置いては完全に短絡的で愚かな決断をしたと思うし、正論だけで相手を屈させようとする母親もその発言がいつか自分へのブーメランになることは忘れてはいけないということです。

 

小さい男の子の、叫びながら涙を流して自分の気持ちを全力で伝えようとした姿と、他に行き場所もなく黙って両親の後を歩いていった小さき敗北者の姿が今も目に焼き付いて離れません。

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