こんにちは、小野哲平です。
歌舞伎役者の付き人という珍しい仕事をしていました。
付き人って何?という方はこちらをどうぞ!
付き人歴は以下の通り。
- 八代目中村芝翫(当時橋之助)付き人
- 2007年~2009年(三年間)
- 2016年10・11月、2017年1月 成駒屋襲名の為一時復帰
今まで何度となく書いていますが、付き人として歌舞伎界にいた時間は
ぼくの人生においてかけがえのない時間であり、今日のぼくの人間性の構築に多大な影響を及ぼしています。
あと…単純に若かったです。笑
歌舞伎のかの字も知らない21歳の役者志望にとって、世界に通ずる日本の伝統芸能界隈は毎日が刺激的で魅力的でした。
死ぬほどツラかったけど今となっては何もかもが良い思い出です。
早いもので付き人を卒業して10年。
亡くなった方や当時幼かったぼっちゃん方の成長などもあり、歌舞伎界の顔触れも少しばかり変わりました。
新しいお弟子さんや近年歌舞伎好きになった人、あの頃の歌舞伎座を知らない世代も増えてきています。
そこで今日は思い出話。
勘三郎さんに三津五郎さん…付き人をしてた頃の「名優たちとの思い出」を役者別に書き連ねていきます。
と、言いましてもぼくは単なる付き人なので幹部連中とお話をさせてもらう立場にはありません。
なので今回の記事は「付き人の立場から見た名優」です。
どれだけ時を重ねようとも、そのひとつひとつが色褪せることのないぼくの財産です。
五代目 中村富十郎
天王寺屋の旦那。
ぼくが付き人の時代は神谷町の旦那(七代目中村芝翫)と並ぶ最高幹部の一人でした。
歌舞伎座一階の奥の楽屋。大幹部の部屋。
2008年。仮名手本忠臣蔵の高武蔵守師直(こうのむさしのかみもろのう)を務めることになった芝翫さん(当時橋之助)が富十郎さんに芸を習うということで、興行中の歌舞伎座の楽屋にぼくも同行しました。
と言いつつも稽古が始まったら中には入れないので、ぼくは楽屋前で富十郎さんの付き人さんと並んで待機。
何か色々話したけど何の話をしたのか忘れました。笑
楽屋からは結構なボリュームで台詞が聞こえてきました。
富十郎さんのあとに芝翫さん。
同じ台詞を何度も。
稽古が終わった帰り道。
芝翫さんは笑顔で「いやぁ~天王寺屋のお兄さんは凄いな~」ととても上機嫌でした。
ぼくも釣られて嬉しくなったのを覚えています。
その後、歌舞伎座さよなら公演で富十郎さんが務めた師直を拝見しました。
これが芝翫さんが目指した師直かと純粋に興奮したものです。
十八代目 中村勘三郎
ぼくが付き人をしていた2007~2009年。
芝翫さん(当時橋之助)は中村屋一門と座を共にすることが多く、勘三郎さんは文字通り座組の大ボス、総大将でした。
初めてお会いしたのはコクーン歌舞伎の稽古場。
芝翫さんが「うちの新しい付き人です」と紹介してくださったので
「小野哲平です!色々勉強させていただきます!宜しくお願いします!!」
と挨拶したら
「勘三郎です。勉強だなんてとんでもない。こちらこそ宜しくお願いします。」
と丁寧に挨拶を返してくれました。
…ビビりました。
どこの馬の骨とも分からない30歳も年下の若者に丁寧にお辞儀をして挨拶。
このときのことはハッキリ覚えていて、
うわ!ちゃんと挨拶返してくれた!と思うのと同時に、今まで会ってきた役者の先輩とは違うなぁと感じました。
初めて会った本物、という表現がしっくりきます。
いつも明るく太陽みたいな方で、表も裏もないように見えました。
嫌なものは絶対に嫌、好きなものは好き。とてもハッキリしていました。
平成中村座の楽屋はパーティションで区切られているだけなので大きな声を出すとそのフロアにいる全員に声が聞こえます。
にも関わらず大きな声で「昨日俺は◯◯(芸能人)と喧嘩したんだ!」とパーティション越しに勘九郎さん七之助さんと大きな声で話していました。笑
話の内容を聞かれても全く気にしない豪快な方でした。
付き人になって間もない頃、一枚だけ一緒に写真を撮ってもらったことがあります。
ぼくの一生の宝物です。
これからずっと歌舞伎界を背負っていくお方だと信じて疑っていませんでした。
十代目 坂東三津五郎
三津五郎さんと芝翫さんが仲が良かったこともあり「てっぺーちゃん」と呼ばれ、良くしていただきました。
その頃、三津五郎さんのとこにいた付き人さんとぼくの仲がよく、ちょこちょこ一緒にご飯を食べたりしていたので三津五郎さんから「これで食べておいで」とお小遣いをもらったり、お弁当をいただくこともありました。
いつも穏やかで「カッコ良い大人」でした。
勘三郎さんの華やかなオーラとはまた違う、優しいオーラをまとっている方でした。
最後に会ったのは旧歌舞伎座の奈落。
揚げ幕に向かう三津五郎さんがわざわざ足を止めて話掛けてくれました。
「やめちゃうんだってね」と言われて「はい、役者になります」と答えたらニッコリ微笑んで
「なら、また会えるね」
と言ってくださいました。
目頭が熱くなるほど嬉しかったです。
しかしそれが今生の別れになってしまいました。
十五代目 片岡仁左衛門
言うまでもなく「神様」です。
同じ時代に命あることに全人類が幸せを感じなければいけません。
仁左衛門さんはいつでも笑顔で挨拶を返してくださる方です。
挨拶を重んじる世界なので、された挨拶を返さない人は歌舞伎界にはいませんが、中にはこちらを見向きもせずに挨拶を返す方もいます。
でもぼく個人的にはそれは特段悪いことだとは思ってないです。幹部クラスになると歌舞伎座楽屋口に到着してたら楽屋に辿り着くまでに何十人の方に挨拶されるので。
でも仁左衛門さんは別です。
どんなときでも「おはようございます!」と挨拶すると必ずこちらを向いて微笑んで「おはよう」と返してくれます。
その笑顔が二枚目すぎて…
惚れてまうやろー!!!
です。
もうカッコ良すぎてよく分からないくらいのお方です。
地上に舞い降りた神様です。
同時代を生きる喜びに感謝です。
十一代目 市川海老蔵
同座することは少なかったのであまりお見掛けすることはありませんでしたが、よく覚えています。
なんと言いますか…語弊を恐れずに言うのであれば
海老蔵さんは殺意をまとってました。
現れる前に分かるんです。
地震が来る前の何となく「嫌な予感」ってあるじゃないですか?
人類の動物的本能と言いますか。
これから訪れる危機を察知して背中がゾクッとする感覚。
歌舞伎座でも時々それを感じることがあります。
そういうとき周りを見渡すとほぼ間違いなく
…近くに海老蔵さんがいます。
これ本当の話ですよ!
拵えをして舞台に向かう出番前の海老蔵さんは試合前のプロボクサーのようでした。
あぁ!道空けないと殺される((( ;゚Д゚)))
怖い怖い怖い怖い((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
日々の挨拶以外では一度だけ芝翫さんの楽屋にいらしたときに言葉を交わしたことがあります。
笑顔も肉体もパーフェクトでまさに究極完全体でした。
近寄りがたい異常な雰囲気を兼ね備えていますが、その底無しの魅力は当代随一です。
色んな意味で一般社会には適合しない「選ばれし人間」だと確信しています。
九代目 中村福助
ご存知当代芝翫さんのお兄さんです。
何度も同座してお世話になりました。
福助さんは大の読書家。
いつも沢山の本が楽屋に積み重なっていて、挨拶に行くと「てっぺー!これ読めよ!!」とぼくに本を貸してくれました。
福助さんにお借りしたら早急に読むしかないじゃないですか!!
なので同座したときの仕事の空き時間はひたすら本を読んでました。笑
読んで感想を伝えるとニッコリ笑って「そうだろー?面白いだろー?」と次の本を貸してくださいました( ゚Д゚)
湊かなえの「告白」も福助さんにお借りして読みました。
本屋大賞や映画化されるずっと前です。
この「告白」から分かるように福助さんのオススメする本はどれもめちゃくちゃ面白かったです。
- 伏線回収が巧妙な小説
- グロい話(笑)
- 任侠モノ
- お金の本
- 同時多発テロ(9.11)にまつわる本
他にも沢山借りました。
博識で且つ知的探求心が強い方でした。
私服もすっごくオシャレ!!
芝翫さん共々、ぼくの付き人生活を豊かにしてくれた大切な方です。
最後に
いかがでしたか?
ぼくも当時を思い出しながら書いたのでとても懐かしい気分になりました。
他にも思い出深い役者さんはいますが、今回はこの辺で。
続きはこちら!
最後に2016年の成駒屋襲名時に書いた芝翫さんに関する記事も載せておきます。
良ければお読み下さい。
↓以前のブログで書いた文章ですが評判が良かったのでこちらのブログに引っ越しました↓