大河ドラマを観ていてぼんやり気付いたことがある。
鎌倉時代も江戸時代もそんなに文化が変わらないなぁ…。
正確には様々な技術発展が進んでいるのだろうが、ドラマの視聴者から見る分には当時の人々の暮らしに大差はないように見える。
携帯電話も電気も車もない。
洗濯機もテレビも冷房もない。
そういう意味で、ドラマを見てる限りでは大きな文化の違いを感じることはない。大きくまとめて「昔の話」だ。しかし時代で考えると鎌倉時代が1192年、江戸時代が1603年。その間には、およそ400年くらいの時間が流れている。
ここで話は現代に戻る。
10年前、貴方はスマホを持っていただろうか。
持っていたとして、今と同じように小さな画面で映画を鑑賞したり、LINEでさくさく友人と連絡を取り合っていただろうか。
更に言えばYou TubeもTikTokも映像サブスクもここ数年の出来事である。
20年前も考えてみよう。
ぼくが高校生の頃はまだインターネットが家庭に普及していなかった。ITリテラシが高い家庭にしかネットはなく、まだ携帯電話で世界の出来事を即座に知ることは難しかったと記憶にある。
言いたいことはもう伝わったであろうか。
鎌倉時代から江戸時代まで400年くらい緩やかに上昇してきた技術が近代に入り、二次関数のグラフのように物凄い勢いで上がり続けているのだ。
三年前、いや下手すれば去年の技術がもう古い。次から次に世界の誰かが発明した新たな「便利」が一瞬で世界に広がり生活に組み込まれていく。
この技術の発展。個人的に言うならば「エグいやろ」の一言に尽きる。
意識しないままに、どんどん生活が一変していくのだから。
友人がこの件について興味深い発言をした。
「もう科学は人類のキャパを遥かに超えている」
言い得て妙である。この表現がピンとこない人はこう質問されたらどうだろうか?
「スマホの機能、全部使いこなしてる?」
ほぼ100%の人がNOと答えるだろう。
ぼくもそうだ。通話とSNSとネットくらいしか使っていないし、必要に応じて新しい機能を知る度に「おぉ!こんなのあったのか!」と驚いている。
使えるけど知らない。
これこそが「キャパを超えてる」状態である。
今現在、科学は人類のキャパをとうに超えている。
観たいものが多すぎるから映画を含む動画を二倍速で観る。ストーリーと結末だけ知りたいからファスト映画が重宝される。次第には本も映画も現物を楽しむのではなくて、脳に直接「内容」をインストールするようになるのではないだろうか。
二時間の映画を二時間で楽しめなくなったらおしまいである。
それこそ現実の敗北だ。
皆さんはどうお考えだろうか?
そんな科学の進行速度に若干の恐怖を感じてる昨今である。