小さい子供が大好きだ。
道ですれ違うときに微笑みかけてしまうくらい好きだ。
電車にバイバイと手を振ってる小さい子供を車内の窓から見掛けたら必ず手を振り返してる。人の目があるから控えめだが本当は無人島で遭難し絶体絶命の際、たまたま海を通過した船に助けを求めるときくらい全力で振り返したい。肩が外れても構わない。
昔、親と外食してるときに小さな子供が隣のテーブルにいたりすると、親が手を振ったり変な顔をしたりしてその小さい子を笑わせようとしてるのがとても不思議だった。
でも今ならその気持ちがよーくわかる。大人は子供の笑顔が見たいのだ。子供の屈託なき笑顔に癒やされたいのだ。これは生物として当たり前の感情だと思う。
なので両親が小さい子供を積極的に笑わせてたのも生物としては正しい行動だ。ただ人の子よりもまずは自分の子供を笑わせるべきだったんじゃないかと冷静に考えてる自分もいる。
そんなわけで知らない子供だろうが、同じ種族の小さな命として先輩である大人が子供を笑わせようとするのは悪い行いではないと思う。
しかし最近は昔と違い、ご近所付き合いや人と人の繋がりが薄い時代である。
物騒な事件も増え、誰が味方で誰が敵かわからないライアーゲームのようなこの社会。子供を育てる親御さんも神経が張り詰めて息苦しくしていることだろう。
でもぼくは子供を笑わせたい。
しかし保護者と共にいる子供を笑わせようと勝手に手を振ったりすると、それに気付いたお母さんがぼくに会釈をしなければならなくなる。
ただ可愛い我が子を連れて歩いているだけなのに知らないおっさんに会釈しなければならないなんて苦行だ。申し訳なさすぎて「もう見ません」と眼球えぐり出して差し上げたいくらいだ。
保護者に迷惑を掛けたくないが、子供の愛くるしい笑顔は見たい。癒やされたい。
なのでぼくはこっそり笑わせることにした。
抱っこされてる赤ちゃんをお母さんの背後から笑わせる。決して近付きすぎず、あくまでも自然な形でだ。
電車でお母さん同士が盛り上がってるときにベビーカーに乗ってる子供たちをそっと微笑ませる。
それは忍びのような早ワザだ。
実はそういうときほとんどのお母さんが実はぼくのような笑わせ隊(子供を笑わせたい人)に気付いてるそうだが、そこは見逃してほしい。
今日もぼくは子供をこっそり笑わせている。
君も笑わせ隊に入らないか?