面白い話を聞いた。
遠い昔。言語を生み出し、知恵と知識を共有することを学習した人類は少しずつ文明を発展させ、地球上全ての生物の頂点に立った。
個人の力では勝てない凶暴な動物が相手だとしても関係ない。
策を練り人数を集め、あらゆる手段で退治&捕獲をする。
その点において人類に勝る生物はいない。
しかし世の中には人知の及ばない、どうしても説明がつかない現象が沢山ある。
人々はそれらを「神の所業」と定義した。
つまり人間に不可能なことは「神様がやっている」ということ。
名前、姿形は違えど世界中にはあらゆる神様が存在している。
しかし、それから更に月日は流れ、人類はこれまで「超常現象」としてその理由を解明できなかった事柄を「科学的に」説明できるようになった。文明の発展である。
医学の発展で考えると実にわかりやすい。
昔は不治の病として神様に祈りを捧げることしかできなかった病気が、今では治せる。
それはつまり「(昔は)死を待つしかなかった人を生かせる」ようになったということだ。
他にも自然界におけるあらゆる現象の発生理由を専門家の手によって「科学的に」説明できるようになった。
これまで「神様」によって引き起こされていたことを防いだり、治したりできるようになった今、人類は「神を超えた」と言っていいだろう。昔の人々が神と思っていたのは今の我々である。
これからの人類に不可能はない。宇宙にも行けるし、仮想空間を作ることだってできる。
しかし今、人類を超える存在が登場している。
そこで問題。
この先、人類に変わる神は何か?
答えは「データ」である。
厳密に言えば、物事を深く思考できる生物として人類を超える生命体は地球上に存在しない。
しかしその人類を操る存在として「データ」が存在しているのである。
具体例を言おう。
行きたいお店が二つあるとき、レビューサイトの点数が最終的な決断の決め手になるときはなかろうか。決定とまではいかないが参考にしてる人は山程いると思う。
映画や本、宿泊先のホテルやそこに至る交通サービスもそう。
全て一度はレビューの点数をチェックしていないか。
そしてそれによって自身の行動を変えられていたら、それはつまり「データに操られた」状態だ。
無論それらは個々の人類が生み出した情報の「集合体」である。
しかしながらその実態のない「データ」に我々は日夜行動を左右されている。
何かを購入するときに必ずレビューサイトで評価を確認する人は少なくない。その商品を使ったことがない人も、その映画を実際に観たことがない人も、みんなレビューを読んで知ったような気持ちになっている。
言い方を変えれば皆「神に支配されている」。
人類が生み出した「データ」によって人類は操られている。
今の神様は「データ」。
共感できるだろうか?
少なくともぼくは深く考えさせられる話だった。