小学生の頃、同級生にとても可愛い子がいた。
ルックスもしかり、明るい性格でよく笑い、皆に分け隔てなく優しく接し、スポーツ万能で勉強もできる。例えるなら、なんかキラキラしてるような子だった。
もしこれを読んでるのがぼくの小学校の同級生ならば、全員が誰のことを指しているのかわかるはず。それくらいの子だった。まるでマンガみたいな話だが同学年男子の7割くらいは彼女が好きだったと思う。ぼくの周りの友達も皆彼女が好きだった。
こんなエピソードがある。
小学生くらいだと男女関係なく、相手のことは大体名字を呼び捨てにして呼ぶ。子供社会なんてそんなものだ。しかし彼女は違った。男子を「くん付け」で呼んでいた。
5年生のときに彼女に「小野くん」と呼ばれたのが入学してから初めて同級生に言われた「くん」だったので衝撃だったのを覚えてる。
ちなみに中学でも「くん」を付けて異性を呼ぶ女子はいなかった。呼び捨てで呼ばれ、呼び捨てで返すのが基本である。
そんな高度なことを嫌味なくサラリとする女子だった。
そして中学。
ぼくも彼女も同じ公立中学に入学した。
その中学は同じ区域の小学校4校から生徒が集まってくる学校だった。
ぼくは5年生、6年生と彼女と同じクラスだったが中学では同じクラスになることはなかった。
校舎も違うクラスだったので、ぼくは彼女と廊下で会うこともなくなっていた。
そんな中1の終わり頃、違う小学校だったヤツが何人かでこんな話をしていた。
「○組の○○って可愛いよなー」
彼女である。なんか…凄いと思った。これまで小学校の学区内でしか影響力のなかった彼女の存在が、中学規模に広がっていたからだ。
勿論よその小学校から来た可愛い女のコは他にもいた。単純な美貌だけならもっと綺麗な子もいたと思うが、前述の通り彼女の場合は性格の良さが雰囲気から伝わるキラキラタイプで、中学でもそのまま学年トップクラスの人気を保っていた。
そのとき、何故か誇らしい気持ちになったのを覚えてる。地元の英雄的な。
そして更に月日は流れ、ぼくは高校生になった。
夏くらいだったと思う。ある日、同級生男子がこんなことを話題にした。
「○高の○○って可愛いらしいよ」
彼女である。ウソやん、て思った。風の噂で彼女が○高に行ったことは知っていたが、そのときは誇らしいってよりもコワっ!って感じた。
だって違う学校だぜ?
今のようにSNSなど存在せず、Eメールが普及し始めたぐらいの古き時代である。口コミで彼女の評判が流れてきたのだ。
うわぁ、こんなことあるんだ、と思った。うまく言えないが、彼女が彼女として生きているだけで、普通に生活するだけで名が広がっていくことに恐怖を感じた。
評判が流れたら高校まで彼女を見に行くヤツもいるかもしれない。
美人て大変なんだなぁ…と本気で思った。
その場にいるだけで異性から注目を集めたり、同性から意図せぬ嫉妬を受けることが多いはず。それを「美人だから」の一言で片付けてしまった場合、見方によっては一種の差別に近い。そんなことをそのとき真剣に考えさせられた。
ぼく自身は彼女との思い出はほぼない。しかし可愛い可愛いと、もてはやされることは必ずしも当人にとってプラスの出来事とは言えないのかも、と深い思考に連れて行ってくれた彼女の存在はぼくの人生の中で大きいのである。