ペーパードライバーである。
いや、ペーパーどころの騒ぎではない。学生の頃に免許を取得して一度も運転してないので、もはやドライバーですらないと自認している。
大学を卒業したら身分証がなくなるから在学中に運転免許を取るのは常識、みたいな圧力に似た空気が当時は充満していて、車にも運転にも興味がないままに免許を取った。以後、その免許証は予想通りに単なる身分証として活躍している。
運転に興味がないわけではない。むしろ生き抜く為に必要なスキルだと思ってる。
友人たちとレンタカーで旅行に行って、何らかの事故や事件に巻き込まれて、ぼくしか運転する人間がいない状況になったとき「ごめん、ペーパードライバーだから無理」とはとても言えない。そのときに自分に集まる冷ややかな視線が怖くて事故の際は率先して骨折する覚悟すらある。「駄目だ、運転したくても腕が上がらない」と苦渋に満ちた表情で息を切らしながら言えば少なくとも役立たず認定はされないはず。
だが、そもそも普段から運転していればそんな風に自作自演で骨折する必要はない。
どうしてこんなことになったのか。
それは偏に運転する機会がなかったからだ。
運転が嫌いなわけではない。教習所では毎回最前席で講義を受ける優秀生徒だったし、路上教習も楽しかった。高速道路教習であおり運転に遭ったのは災難だったが、そんなことがいちいちトラウマになる軟弱な男ではない。
全ては免許を取得してから運転する機会があまりにも無さすぎて、無さすぎるが故にもう取り返しのつかないことになってしまったのだ。
今思い出す数々のチャンス。あの日あの時あの場所で、率先して運転をしていれば、こんなにハンドルに怯える人生になっていなかったのに。
誰かと「普段運転するかどうか」の話をするときは自身がペーパードライバーであることにプラスして「都内だったらだいたい自転車で行けますからね」と自動車の必要性を軽く下げるような発言をサラッとするようにしている。
伝家の宝刀である。
そして都内をよく知る者は大体この発言には共感してくれ、自分がマイカーを持っていないことに若干のコンプレックスを抱えている者などは自転車の利点を次々に付け加えてくれる。
車は駐車場も維持費も高い、毎日乗るわけじゃないから勿体ない、その点自転車ならお金は掛からないし、渋滞を気にせずにスイスイ進める。
うんうんと満足気に頷くぼくに誰かが質問する。
「じゃあ小野さんは移動はいつも自転車ですか?」
「いや、ぼく自転車持ってないんです」
この何とも言えない空気が好きだ。