こんにちは、小野哲平です。
突然ですが今日は皆さんにぼくの弱点をお教えします。
え、興味ないって?
いやいや、知りたい方も多いんじゃないですか??
勿体ぶらずにサクッと白状します。
ぼくの弱点は「努力できない人間の気持ちが分からないこと」です。
は?カッコつけすぎだろ?
まぁ、一見カッコよくも聞こえるし、嫌味にも聞こえますね。
でもそういう言葉以上の意味はひとまず無視をして、言葉通りに受け止めてください。
もう一度言います。
ぼくの弱点は「努力できない人間の気持ちが分からないこと」です。
本当にわからないんです。
その点に関しては自分が感情のないアンドロイドになったかのように全く理解できないです。
自分でその弱点に気付くよりずっと早く、高校の先生がぼくに教えてくれました。
今日はそれにまつわるエピソードを紹介します。
今から17.8年前。高校生のときの話です。
合わない先生
ぼくは進学校でも何でもない県立の工業高校に通ってました。
工業高校なのでそれなりにヤンチャなヤツはいたけど、それ以外は至って普通の高校生です。
いきなり自慢ですがぼくはクラスで一番の成績でした。
通知表に記載されているクラス順位はずーっと1位です。
申し訳ないけど2位とも結構離れてぶっちぎりの1位でした。
で、そんなある日。
ある先生、仮にA先生としましょう。
そのA先生が我々生徒に課題を出しました。
その課題が「◯◯について調べてこい」ってことだったんですけど、その◯◯は授業で一切触れてないものだったんですね。
しかもそのときはインターネットも普及してなくて、調べる術が図書館くらいしかありませんでした。
今思うと変な話なのですが、ぼくはこの「授業で一切触れてない事柄についてレポートを書かせる」というのがどうにも許せませんでした。
もちろん教科書にも一切載っていません。しかもその○○はなかなか高度な技術。
これ、どう言えば伝わるのかな。
とにかく物凄く違和感があって、今までの授業をすべて無視していきなり大学生並みに重たい課題を出してくる先生が全く理解できませんでした。
これまで掛け算割り算をやってたのに、突然微積分についてまとめてこいみたいな。
勝手なイメージですが前日に自己啓発の本を読んで気合い入っちゃったような感じです。
とにかくレポートは提出したのですが、いかんせん意味がわからない。
これめちゃくちゃ謎だし、しかもそのA先生が普段から高圧的な態度の人だったんですよ。
生徒を「お前」呼ばわりするような。
簡単な話、ぼくはずっと大嫌いだったんですけど、それでもそれは個人的に嫌いなだけであって、ぼくとA先生間だけの話でした。でも今回は違います。授業の話です。
今までも決して友好的ではなかったのですが、この課題の件でぼくはマジで頭にきて、直接A先生と話しても無駄だと思ったので「校長」に話をしに行きました。
校長の対応
事前にしっかりアポイントをとって、後日ぼくは始業前に校長室に入り校長にA先生の授業&課題について話しました。
どこがおかしいのかを紙にまとめて説明しました。
- こんな段階を踏まない授業をしていたら生徒の為にならない、
- この学校はどういう生徒を教育したいのか
マジで詰めました。
厄介な生徒であったことは認めますが、問題行動だとは今でも思ってません。
校長はぼくの話をうんうんと聞いていました。
ぼくは自分の意見をちゃんと聞いてもらえてると思ってました。
でもまぁ今思うと面倒だと思ってたんでしょうね。
翌日、ぼくの行動は学科の先生に知れ渡ってちょっとした事件になっていました。
学科の先生に知れ渡る
君の授業に問題を抱いている生徒がいるからどういう内容の授業で、どういった課題を出しているのか教えてもらえるか?
ということを校長なり話を聞いた学科主任がA先生に対応すると思ってたし、ぼくはそうなることを望んでました。
でも蓋を開けたらぼくが只の問題生徒扱いされただけでした。
普通に担任に呼ばれ「お前何がしたいんだ?」と詰められました。
まさか校長がぼくの名前を公開するとも思ってなかったので落胆&絶望&怒りです。
こんなやつでも校長になれるのかって思いました。
話を聞いた例のA先生にも個別に呼び出されました。
自分の授業に対して行ったアンケートをぼくに見せてきて「俺の授業を楽しいと思ってる生徒はこんなにいる」と訳の分からない主張をされました。
成績判定権を持ってる先生に渡すアンケートで生徒が本音書くわけねぇだろアホか、と思ってました。
校長も担任もA先生にも失望しました。というか学校そのものに失望しました。
ぼくはぼくの意見を通したいのではなく、一生徒の意見を汲み取って真剣に向き合ってほしかったです。
ぼくが正しいとかそういうことじゃなくて、しっかりとした回答がほしかったのに。
さらに呼び出しをくらう
そんな中でひとりだけ。
学科で一番怖いと畏れられていた先生だけが真剣にぼくに向き合ってくれました。
ある日の放課後。
ぼくはその先生(こちらは仮にB先生としましょう)に呼ばれました。
「哲平、ちょっと来い」
ぼくはB先生に怒られるのが嫌でした。
他の誰でもなくB先生に問題生徒だと認識されるのが嫌でした。
ぼくはB先生が好きだったから。
成績が良かったぼくは一部の生徒しか受けれない高度な検定にも挑戦させてもらっていて、その検定対策の特別講師がB先生だったのです。
三つの科目があってそれぞれ70点以上取れば合格のその検定、ぼくは三科目満点合格で、全国工業校長協会会長から優秀生徒として表彰されました。
単純に自慢だよ!
もらった表彰状とブロンズ像はB先生と共に取ったものです。
だからこそB先生には恩義があるし、何より問題のある生徒だと思われたくありませんでした。
B先生の言葉
広い教室に二人きり。
机を挟んで目の前にいる先生。
ぼくは先生の口から出る言葉を待っていました。
少しの沈黙のあと、先生はゆっくりとこう言いました。
その内容は、ぼくの今後の人生を凝縮してるような予言めいた言葉でした。
「全てが思い通りにはならない。みんなが哲平みたいに頑張れるわけじゃない。
でも、哲平が頑張っていることも、哲平が凄いことも皆知ってる。」
その「皆知ってる」という言葉でぼくは涙が止まりませんでした。
おそらくB先生はぼくよりもぼくのことがよく分かっていたのだと思います。
先生のこの言葉でこの騒動は終わりました。
ぼくは学校に絶望しましたが、その絶望の中に理解者がいることを知りました。
そして頑張れない大人がいることも知りました。
そして今
みんなが哲平みたいに頑張れるわけじゃないんだ
高校を卒業してからもずっとこの言葉と戦い続けました。
現状に満足してない人間がどうして努力をしないのかわからない。
自分と同等の行動力を周りに求めてしまうことも多々ありました。
でも今はわかります。
できない人はできない。
現状に文句を言いながら何もせずに生きている人も少なくないと理解できました。
そしてそれは文句を言いたいだけだということも。
ぼくは、今でもこの言葉と戦っています。
みんなが哲平みたいに頑張れるわけじゃないんだ
この言葉は正解です。
でも、ぼくより努力してる人だって星の数ほどいます。
だからこそ下を見て安心してはいけないと思います。
ずっと上を見て進んでいきたいです。
時折休むことは大切です。
様々な経験を経て、表面的な部分は変わりました。良い意味で「人に期待してはいけない」ということも学びました。
でも根っこの部分は今でも変わっていません。
ぼくは「努力ができない人間の気持ちが分からない」
優しくなくても構いません。
ずっと分からないまま生きていくつもりです。