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剣道部の思い出と顧問の話

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自分のこと

こんにちは、小野哲平です。

 

今日は高校のときの剣道部とその顧問について。今から17~18年前の話です。

人に自慢できるようなこともないままにダラダラと30代も半ばになってしまったぼくですが、それなりに長く生きてると「誰かの死」を経験することも多く、家族、友人、お世話になった方、好きだった芸能人、と関係性の薄い濃いはあれども様々な「死」を通ってきました。

 

剣道部の顧問が亡くなったのは今から10年ほど前。

 

当時、連絡を受けた仲間たちと御自宅に伺って線香をあげました。

卒業してから交流があるわけでなく、更に言えば部活を引退してからも接することのなかった先生。

 

でも、とても優しい方でした。

どういうわけだか最近になってこの先生のことをよく思い出します。

 

自分勝手に思い出して、自分勝手にセンチメンタルになる。

つくづく人間というのは傲慢な生き物だと思います。

 

なので傲慢ついでに文章にします。

誰かひとりでも読んでくれたら幸いです。

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そこは求めていたガンダーラ

物語は、ぼくが高校に入学する前から始まります。

 

中学校で40人近い部員を従える部長だったぼくは心底剣道に疲れていました。

強豪校ならまだしも弱小校で40名。

各自のやる気も能力もすべてバラバラの中で部長をするのは苦痛でしかなく、ぼくは「高校に行ったらのんびりと剣道がしたい」と考えていました。

 

すべての高校球児が甲子園を目指さなくてもいい。

ただのんびりと野球がしたい子がいてもいいじゃないか。

 

そもそもぼくは部長といいつつも単なる激よわ剣士だったので、大会に出て勝ちたいとかそんな気持ちはこれっぽっちもありませんでした。

おのぺー
おのぺー

どうせ勝てないし

ただ、のんびり剣道がしたかったのです。

 

兄と同じ高校に進学が決まっていたぼくは剣道部の様子を兄に聞いていました。

兄は柔道部なので同じ道場を使っている剣道部のことをよく知ってます。

 

「2人しか部員いないよ」

 

ぼくが入部する高校剣道部は部員が二人でした。

 

しかも校内に剣道に精通した先生はいなくて、地域で剣道を教えてる優しいお爺ちゃんが放課後にふらーっと車でやってきて一緒に稽古してる、と。

 

その『ゆるそうな環境』はぼくが求めていたガンダーラでした。

【ガンダーラ】そこに行けばどんな夢も叶うという夢の国

 

兄の口利きでぼくは高校入学前の春休みから剣道部の練習に参加しました。

 

優しいお爺ちゃん先生、優しい先輩二人、ゆるい稽古。

誰も怒らない世界。

 

ぼくのガンダーラはそこにありました。

ガンダーラは続く

予想外だったのはぼくの代の剣道部入部希望が多かったこと

ぼくを含め6人が剣道部に入部しました。

 

先輩2人を含めて剣道部は8人になりました。

 

だがしかし、ここは強豪校ではありません。

お爺ちゃん先生も菩薩のような方です。

 

大会に勝とうなんて崇高な目標は立てずに、ぼくらはゆるい稽古を続けました。

 

時には稽古をせずに部室でジェンガをしたり、竹刀とピンポン玉で野球をしたり、柔道部を加えて道場一面でサッカーをしたり、完全に自由空間。

 

そこはまさしくガンダーラでした。

おのぺー
おのぺー

遊びまくりだぜ

顧問の話

ここで久々の登場になるのが剣道部の顧問です。

今回の主役はこの先生。

 

おじさん以上お爺さん未満みたいな先生で、分かりやすく想像してもらうなら蛭子能収さんをイメージしてくださると理解が早いです。

 

いつもニコニコしてて、絶対に怒らない。

形ばかりの顧問なので滅多に道場には現れません。

更に剣道のことはよく知りません。笑

 

大会があるときに

「小野く~ん!大会の申込書きてるよ~」

と書類を持って道場に登場します。

 

でも大会には必ず来てくれます。

 

「ぼくの車で防具運んであげるよ~!」と試合前日に選手の防具を車に詰めてくれて、大会当日はビデオカメラを持って楽しそうに試合を録画してくれます。

 

先生が防具を運んでくれるのでぼくらは手ぶらで試合会場に行ってました。笑

強豪校がせっせと肩に防具を担いでるのに、ぼくらは手ぶら。

しかもろくに練習もしてない弱小校。

 

ビデオカメラも試合以外は先生がパン食べてるとこを盗撮したりして遊んでました。

 

で、試合翌日の放課後は、教室を押さえてみんなで試合映像を観てました。

「なに~こんなの撮ってたの~」

撮られてることを知らない先生は自分が映るとナイスなリアクションをしてくれました。

 

ぼくらはその先生のリアクションを見て笑うのでした。

あれ?強いの?

適度に稽古しながらも基本的に毎日遊びまくってた剣道部ですが、優しい先輩が引退する時期が来ました。

 

ぼくが二年生の夏です。

 

サボっても何しても全く怒らないし一緒になって遊んでくれた先輩。

最後なのでぼくらはちょっとだけ稽古を頑張りました。

 

すると夏の県大会団体戦でぼくらは四回戦まで進みました。

県ベスト32です。

 

32というとショボい響きですが、ぼくの高校は神奈川県です。

県大会だけで100校近い高校が出場します。

 

甲子園と同じように県大会決勝は全国大会と同じくらいのレベルです。

 

あとひとつ勝てば県ベスト16。

ベスト16になるとベスト16だけが出場できる別の大会に出れます。

 

神奈川県のベスト16はすごいことです。

というか、そもそもぼくらは全く稽古をしてないのですから。笑

 

顧問の先生も喜んでくれました。

「小野くんたち実は強かったんだね~」

ベスト32が続く

「あれ?頑張れば勝てるんじゃね?」

と調子に乗ったぼくらは今まで7:3の割合でふざけていた稽古を5:5くらいにして、やや真面目に稽古をしました。

 

先輩が引退したあとの部長はぼくです。

中学校のときの「なんだかよくわからないけど数だけ多くて、それもまとめなきゃいけない部長」に比べたら全然ラクだし、毎日めちゃ楽しかったです。

 

そこそこ稽古をするようになると次の県大会でもベスト32まで残れました。

相変わらずぼくはめちゃよわでしたが、周りがとにかく強かった。

 

顧問の先生は勝っても負けても何も言いません。

いつも通りニコニコと防具を運んでくれて、翌日には試合のビデオを見せてくれました。

ベスト16を破る

三年の夏、ぼくらの引退試合。

二回戦で前回大会ベスト16の高校と当たりました。

 

実はぼくらはクジ運も良くて、それまでは強豪校とはだいたい四回戦で当たっていたのです。

そしてボッコボコにされてました。

 

ボッコボコにされても四回戦までは勝ち上がってるのでベスト32をキープできたのです。

 

しかし今回は二回戦。

終わったのぅ…と思っていたら、なんとぼくらは勝ってしまいました

おのぺー
おのぺー

ぼくは負けたよ

 

しかし次の三回戦で敗北。

最後の試合はベスト32に残れることもなく姿を消しました。

 

ぼくはその日以降、一度も剣道をしていません。

卒業後

進学と就職に別れたものの、剣道部は卒業してもちょこちょこ集まってお酒を囲んだりしてました。

もちろん先輩も一緒です。

 

ですが、ここ数年は全く交流が途絶えています。

特に何があったわけでもありません。ただ時間が流れただけです。

 

顧問の先生に最後に会ったのは卒業して何年か経ってからの文化祭。

 

たまたま同級生に誘われて文化祭に顔を出しました。

っても公立校の文化祭なんで屋台が数点あるくらいです。

 

久々に会った顧問の先生は当時と変わらずニコニコしてました。

 

剣道部の話を聞くと、

「今の子たちも頑張ってるけど、やっぱり小野くんたちが一番強かったよ~」

そうあの頃を思い出しながらテンション高めに話してくれるのが嬉しかったです。

 

それと、ぼくは個人成績で負けまくってるのに、部長補正で強かった記憶にしてもらってるのも有り難かったです。笑

 

それから数年で先生は亡くなりました。

交流していたわけではないので、生きていたとしても今後の人生で会うことはなかったかもしれません。

 

ですがときどき、「もう存在してない」という事実が前触れもなく急に胸を締め付けます。

 

つくづく人間は勝手な生き物だな、と思います。

都合いいときに思い出して、自分勝手に涙する。

 

でもぼくも誰かのそんな存在になりたいです。

わぁぁっと泣いてそれで終わりよりも、なんとなく誰かの心に残って時々都合よく思い出してもらえるような人のほうがいい。

 

これを書いて投稿して、時間が流れてたらこんなことを書いたことすら忘れて日々を過ごして、それでまた自分勝手に先生を思い出すんだろうと思います。

 

でもまぁ、そんなもんでしょ。

 

ありがとう先生。

剣道部、楽しかったよ。

 

また思い出すね。

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