こんにちは、小野哲平です。
今日はタイトルの通り「知り合いを自慢する行為の空しさ」について深掘りしていきます。
友達の自慢ばっかしてくるやついるよね!
残念ながらいますね…
まず結論としてぼくは知り合いを自慢するだけの人生を辞めました。
それは以前書いたお金持ち計画にリンクしています。
三年で人生を変えるにあたって、根本的な思考も変えていかないといけないと真剣に考えて、去年末から少しずつ物事の考えを試行錯誤しながら変えています。
しかしながら自分自身の考えというのは一朝一夕で身についたものではありません。
今まで育った環境や身を置いた世界によって蓄積されたものです。
それをパパッと変えることができれば苦労はしないわけで、
やはりそこには一種のバカの壁がつきまとってしまいます。
だからこそ自分自身で変えるという強い意志を持って日々の生活から変えていかないと結局ラクな方に流れてしまいます。人間は基本的に自分には甘くするように作られてます。
なので今日は自身に対する戒めも込めてしっかり書きます。
輝いてるのは自分じゃない
ぼくは俳優であり、その修行として歌舞伎付き人もしていたので業界と呼ばれるところには沢山の知り合いがいます。
有名な知り合いのことを聞いてくる人も少なくないです。
聞かれること自体は嫌ではないので、答えられる範囲で答えます。
中には凄く話に食いついてくれる人もいます。
でも、その度に思います。
この人はぼく自身には興味がないんだろうな、と。
真理ですね
悔しいけど事実だね
ここが今回のポイントなのですが、
芸能のように輝きのある世界にいると、人気者の輝きがさも自分の輝きのように思ってしまうことがある
光の輪が大きくて、自分はその輪の中に入れてもらっているだけなのに。
つまり錯覚ってことだ
今もこういう勘違いをしているエセ業界人は沢山いることでしょう。
しかしこの勘違い、年齢に関係なく気付いてない人は永遠に気付きません。
漫画や映画で登場する(誇張表現した)立場を利用したプロデューサーを想像すると分かりやすいかも知れません。
○○に会わせてあげるよ~なんて女性に口説き文句を言うのがお決まりのパターンですが、
大抵そのプロデューサーは凄くも何ともないというオチまでもお決まりです。
どうして女性は引っかかるのか?
それはその立場を利用したプロデューサーが発する○○に会わせてあげるよ~の○○に魅力があるからです。
それに他なりません。
つまりこの人と付き合いがあることで○○に近付ける、もしくは○○の知らない部分が知れるという気持ちから女性は引っかかります。
ここで重要なのはその関係が真実かどうかはさておき、
○○と繋がりがあることでプロデューサーの価値は高められてるという事実です。
つまり輝いているのはプロデューサーそのものではなく、○○です。
同じ事を自分もしていた
上記の件は極端な例ですが、それをもっと日常レベルに落とし込むと、
実際これと同じようなことしてる人だらけです。
立場を利用してどうこうの部分ではなくて、
自分ではなく自分の知り合いの凄さで自分の位置を確立する行為の部分。
友人の自慢話ばっかする人って高確率でたいしたことないです。
でもそれと同じことを自分もしていました。
消えない肩書き
ぼくの場合は元付き人という紹介をされてしまうことが非常に多いです。
そのときの話やそこで見聞きしたものがぼくの礎となっているのでは事実なので、その過去自体を否定することはしませんが、この元付き人という単語は良くも悪くも、業界でのぼくの名刺になっています。
その名刺がぼくのことを覚えてもらえるキッカケになるのは嬉しいことですが、問題はこの10年、元付き人という肩書きを自分自身が上回れていない、ということです。
最重要課題やで!
入り口としては大事
と、偉そうなことを書きましたが、肩書きを上回りたいと思いつつも、ぼくを知ってもらう入り口としては今後も大事に活用していくつもりです。笑
セコいっすね
うるせぇ
まとめ「自分のこと語ろうぜ」
(意図的に)知り合いを自慢して自分の立場を守ろうとしている人は、
存分に自分が情けないことをしていると自覚して今後も生きてください。
ですが、無意識に友人の話ばかりしてしまう人は水面下で自分に自信がない人なのかな、と思います。
だから何も凄くない自分の話を避けてしまう傾向があるのかと。
少なくともぼくはそうでした。
自分に自信がないから自分が経験した凄い世界の話で自分を輝いてる風に見せてました。情けない。
情けないぜ
でもぼくはもう辞めました。
知り合いの自慢ばかりする人生を辞めました。
自慢するわけじゃないけど、自分のことを自信持って話せる人間になります。