こんにちは、小野哲平です。
昨年(2020年)後半はほぼブログを更新していませんでした。
すると、ちょいちょいこんな連絡が届きます。
「ブログ更新してないけど、どうした?」
「ブログ更新されてないけど何かあった?」
直接会った友人にも言われました。
「ブログ更新してないから何してるか全然わからないよ」
近年はそうでもないのですが2、3年前まではマジでギリギリな生活をしていたので、
「ブログが更新されてない=死亡」
のようなイメージを与えてしまっていたようです。笑
あまりにも言われるので、そのことについて深く考えてみました。
「小野哲平=ブログ」のイメージが形成されている
更新してない間だけでなく、去年や一昨年のぼくの誕生日にも「たまにブログ読んでるよ!」と祝福の言葉に一言沿えてメッセージをくれる方が多くいました。
それは決して普段から連絡をとってる人ではなくて、俗に言う「誕生日だけ連絡を取り合う方々」です。
貴方にもきっといますよね。
とりあえずツイッター相互フォローになってるけど特に何も交流がない人みたいな。
ぼくにも沢山います。
ツイッター上だけの人や過去に数回程度会った人。
知り合い以上友人未満的な。
だからそういう人に「ブログ読んでる」と言われるのは意外でもあり、とても嬉しくもありました。
ブログ命だったときはほぼ毎日更新だったので、タイムラインにちょこちょこ(読む読まないは別として)ぼくの記事が登場して印象に残っているのでしょう。
バズって拡散されたのも幾つかあるからね
特に興味はなかったとしても、年月を掛けてブログがぼくのイメージとして脳裏にぼんやり残る。
つまり、ここ何年かで「小野哲平=ブログ」のイメージが浸透してきたと断言できる事案です。
更に面白いのは、ぼくは思考や情報を書いてるので従来の日記のように日々の生活を綴ってるわけじゃないんですね。
なので今までの記事を読んだとて、ぼくが今どんな仕事をしているかはわからないわけです。
それなのに「今何してるかわからない」と言われたのは不思議な感じがしました。
たぶん内容どうこうよりも質感なのだと思います。
目の前にいる人に説明するように書いてるので、読み手にとっては文章からぼくを感じることができるのかと。
だから内容云々じゃないんですよね。
それはそれで少し寂しい気もしますが。
良い文章のときもあるのだよ
ストック型の努力は裏切らない
ブログやYouTubeはストック型のコンテンツです。
ひとつ作って終わりじゃなくて、やればやるほど自分の資産が増えていくスタイル。
積み上げ型ともいうね
役者で例えると舞台の仕事は原則的にはフロー型です。やったら終わり。
映像はストック型。記録媒体があって、それがレンタルや配信されているなら出演した役者の資産(目に見える形での芸歴)が増えていきます。
というと「舞台だってDVDや配信あるじゃん」という意見が出てきますが、そもそも論として「舞台はDVDや配信を第一に考えた芸術媒体ではない」と言えば理解できますかね。
記録として残ってもぼくの考えではあくまでも舞台はフロー型、映像はストック型です。
で、ぼくが言いたいのは(ネットに置いて)ストック型の努力は裏切らない、ということ。
ぼくの場合は、一本3000文字以上のブログ記事を過去200本以上書いてます。
そうするとネットの深くて広い海原に200の記事が常に漂っていることになります。
朝も夜も関係ありません。
世界中どこからでも読むことができる。
これは結構な強みです。
予想もしない検索ワードでこのブログに流れてくる人や海外からアクセスもあります。
ぼくが更新していない間も月に一万人くらいはこのブログを訪問していました。
単純にすごいですよね。
その記事からぼくに興味を持ってもらえる可能性だってあります。
こういう意味でストック型の努力は裏切りません。
ネットの影響力は侮れない
前述の通り、ぼくのブログは全く更新してない間でも月に一万人近くの訪問があります。
悲しいのは「更新してもそんなに変わらない」ってことなんですけどそれは置いといて、やっぱりネットの影響力って半端ないです。
と、いうのもぼくのブログは知り合い以外の方、つまり検索で流れ着いた見知らぬ方が読んでくれることが多いんですね。
だって一万人も知り合いいないし
そうするとどうなることが起きるのか。
ぼくのブログを読んで感銘を受けた方や、ぼくの意見を聞きたいという方からたまに連絡が届きます。
これ、マジです。
ブログの問い合わせから
「小野さんのブログ(○○という記事)読ませていただきました。私は今は✕✕という状況なのですが~」
という書き出しで助言を求められることが何度かありました。
誰かの人生に断定した助言を送ることはできないので、あくまでも「ぼくはこう思います」的な言い回しの返事になっちゃいますが…それでも意見を求められるのは嬉しさの極みです。
ぼくが様々な場所で体験して培った知識や思考が、顔も知らない誰かを救う一手になるなんて、それこそ名作映画に出演したような気分です。
ネットの海原に流れた記事が誰かの目に止まる。
つくづくネットは侮れません。
スキマを埋めていくように書き続ける
普段から交流のある友人は直接会ったりLINEで連絡をとったりしますよね。
でも世の中はそうでない人のが圧倒的に多いです。
一度知り合って「今度飲みに行きましょう!」なんて言っても実現しないことのが遥かに多いです。
①交流がある人
②互いに、一方的に知ってる人
③知らない人
三つの区分に分けるなら
①<②<<<<<<③
このような割合になります。
①は交流してるので時間が経つにつれ新密度が増したり関係が変化することも考えられますが、②と③との関係性はキッカケがないと何も変わりません。
言い換えるなら自分と②③の間にはスキマがあるのです。
そして人生の面白さは如何にして②③とのスキマを埋めて、自分とは違う世界観を持つ人間と交流するかだとぼくは思います。
皆と仲良くなるのは不可能です。
でも世界は広い。
まだ見ぬ親友が近くにいるかもしれない。
ブログを書き続けて思いもよらぬ人からメッセージを受けとることが何度かあります。
それは知らないうちに「ブログが人とのスキマを埋めてくれている」からです。
ブログだけでなくYouTubeでも音楽でも、何かひとつ本業とは別に生成物をネットに置いておくのは世界が広がる一歩になると思います。
もちろん変な人に絡まれることもあるけど、それもまた冒険です。笑
これからもスキマを埋めることをイメージして書き続けます。