コラム(不定期更新) 怖いネカフェの話

「ご飯食べた?」は日常に隠れた愛ある言葉。使って初めて気が付いた。

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こんにちは、小野哲平です。

今日は日常でよく使う言葉「ご飯食べた?」について詳しく書きます。

この言葉、たくさんの人が今まで何度となく使う、もしくは使われてきたはず。

特に疑問に思うこともないくらいに生活に染みついた言葉です。

そして「ご飯食べた?」で検索すると「ご飯食べた?」をどうやって英語や中国語で言うのか、といった語学にまつわるページばかり登場するので、その言葉そのものだけで記事が書かれることも珍しいのかなと思います。

ただぼくはこの使い古された日常の言葉が、家族を想う愛に溢れた言葉だと確信しています。

さっそく、ぼくのエピソードを交えつつ説明していきます。

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やたら食事のことを聞く父

私ごとになりますが、ぼくは中学校の頃から父とは一緒に暮らしていなくて、

再び共に暮らし始めたのはぼくが26歳の春でした。

全く連絡を取り合っていないわけではなく、一緒に暮らしていなかっただけです。
当時のぼくのバイトは早朝~夕方だったので、父が帰宅する時間帯にはだいたい家にいました。
職業柄お酒の付き合いも多い父は、夜遅くに帰宅することもあるのですが、
どんな日でも帰ってくると一番に、
「お前、飯食ったか?」とぼくに尋ねるのです。
ぼくはこの言葉がよく理解できませんでした。
だって26歳ですよ?
それまで一人暮らしもしてたので自分のことは自分で出来ます。
だからずっと「どうしてこの人はぼくの食事のことを毎回聞いてくるんだろう」とかなり本気で疑問に思っていました。
それもそのはずで、かつて一緒に暮らしていたぼくの母親はそういうことを聞く人ではなかったからです。
自由人の母は幼いぼくと兄を置いて外出することが多く、夜ご飯の時間に家にいないというのは当たり前でした。
それでいて帰ってきてもぼくらの腹具合を気にすることはなく、ぼくらも別に何も気にせずに勝手に育ちました。
だからぼくは自分が食事をとったかどうかを誰かが気にする、という経験がなかったのです。
念の為書いておきますが、母に対する怒りや恨みは毛頭ありません。
ただ義務を怠った人間だと思っています。
だからそのときのぼくは、父が毎日「飯食ったか?」という意味が理解できずに、むしろその言葉を鬱陶しく思っていました。
毎日食事のことを聞く父が理解できなかった。

親族の集まりにて

この家族の腹具合を心配することがイマイチ理解できない、というぼくのエピソードは他にもあって、特に色濃く覚えているのは祖父の墓参りのときです。

その日は親族が集まっていて、父も父の姉(伯母)もいました。

そこにはぼくの従姉妹も来ていましたが、従姉妹の子供たちは家(千葉のほう)で留守番をしていました。そのとき子供たちはもう中学生くらいだったのかな。一番下の子は小さかったです。

墓参りも済んで、みんなで食事をする前に伯母と従姉妹(伯母の娘)が家に残っている子供達のご飯をどうするかで相談を始めました。

「チビたち(子供のこと)の夜ご飯どうすんだい?」「なんたらかんたら」と、子供のご飯をどうするかで従姉妹だけでも先に帰るのかどうかを話しています。

これ、当たり前と言えばそれまでの話なのですが、

自分(子供)の食事が最優先の家庭で育っていない、もしくはそんな記憶がないぼくにとって、この会話は今でも強烈に覚えているくらい衝撃的なものでした。

「子供の食事は何事にも勝るほど優先されるべきものである」ということを、ぼくは知らなかったのです。

子供の食事をどうするかでその後の行動を話し合うのが衝撃的だった。

姪っ子の存在で気付く

月日は流れ、兄に娘が出来たことでぼくは叔父さんになりました。

兄は少しだけ離れた場所に住んでるので姪っ子にも数回しか会ったことがありません。

しかしながら親バカ絶好調の兄から毎日のように写真や動画が送られてきて、ぼくもそれを楽しみにして姪っ子の成長を見守っています。愛です、愛。

で、先日の話。

半年ぶりくらいに兄のところへ行って、姪っ子に会いました。

距離があるので、朝早く出ても兄の最寄り駅に着くのは昼くらいになってしまいます。

お昼の少し前、駅まで兄が車で迎えに来てくれました。

後部座席にはちょこんと座った姪っ子の姿。

ぼくは姪っ子に会うなりこう言いました。

 

「おー○○、ご飯食べたか?」

 

・・・!!

言ったあと、自分でハッとしました。

今まで点で散らばっていた疑問の数々が線になりました。

あぁ、そういうことなんだ…。

ご飯食べたかどうかを聞くことは愛がないと出てこない言葉なんだ。

「ご飯食べた?」は友人と待ち合わせしたときに出てくる「昼飯食った?」とは別物の、「食べてないならどうにかしてあげないと」という家族に向ける、愛が詰まった言葉なのだということをそのとき初めて知りました。

自身が使う立場になって初めて気付いた。

愛が詰まった優しい言葉

自分がこの言葉の本質に気付いた後に思い出したことがあります。

小さい頃、母に連れられて遊びに行く祖母の家では必ず「てっくん、お腹減ってないかい?」と聞かれました。

姪っ子が生まれる随分前からたまに兄に会うと「腹減ってないか?」と聞かれました。

あーそうだったんだ。

ぜんぶ、ぜんぶ愛だったんだ。

使ってる本人も無意識でしょうし「それは愛」とマジマジと言われると困惑するだろうけど、その言葉は愛がないと自然には出てこない言葉なのだと自身が経験して初めて知りました。

つまり父親がぼくに毎回聞いていた言葉も今なら意味がわかります。

人間は食べなければ死んでしまいます。

だからこそ家族の腹具合を確認することは、

生きていて欲しいと思う相手に対する心配であり当然の行為です。

 

もしこれを読んだあなたが家族の元に帰ったときに、

「ご飯食べた?」と聞かれたら、

それはその言葉以上の深い愛が隠されていることを覚えていて下さい。

損はないと思います。

「ご飯食べた?」は愛が詰まった優しい言葉。
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