コラム(不定期更新) 怖いネカフェの話

♯30 接客

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ぼくは接客業ができない。

 

この話をすると「人当たりいいし、めちゃくちゃ得意そうじゃん!」と色んな方に言われるがそうではない。

 

自分で言うのもあれだが、確かにぼくは人当たりはいいと思う。人見知りは一切しないので初対面の人とでも(相手が拒否しなければ)丁寧にはつらつと話すことができる。ただ人見知りがいいことと接客が得意であることはイコールで結び付かない。

 

接客とは能力である。どんなに感情が揺さぶられても与えられた役割に徹することができる能力だ。

ぼくにはこれができない。

 

詳しく書こう。

 

まず「小野哲平」として接客するのは全く問題ない。舞台を観に来てくれた方々に客出しで感謝の挨拶をすることは大切だし苦でもないし、直接の知り合いでなかったとしても笑顔で話をすることができる。人間と人間の正しい交流がそこにあるからだ。

 

問題は「名前もない店員A」として接した場合である。

客のちょっとした無礼な行動に我慢ならなくなるのだ。

 

歩きタバコの際も書いたが、基本的に社会ルールが守れない人は嫌いである。皆で日本という土地で共存しているのだから、それぞれある程度の我慢をして生きるのは当然という考えを持っている。

 

店に客として来たならば、その店のルールに従うのは道理である(理不尽な店を覗いて)。

 

ネットカフェでバイトをしている頃、土地柄も関係しているだろうがとにかく客質が悪かった。他の場所で長く働いたことがないので、もしかしたらどこも同じ程度なのかもしれないが、ぼくにはとても我慢ならないことが多々あった。

 

高圧的な客、いきなりキレる客、お金を持っていない客、目の前でゴミを捨てていく客、会計せずに逃亡する客…当然最初の何年かはそういったトラブルも笑顔で乗り切った。お金をもらっている立場として与えられたことはやらなきゃいけないと思っていたからだ。

 

しかし何年かして、「時給で雇われている時間は奴隷にならなきゃいけないのか?」と考えるようになった。やればやるほど客の要求はエスカレートしていく。

 

「相手に不快な印象を与えずに、できること、できないことの線引きを丁寧に説明する」が通用する客ばかりではない。

 

接客業を経験した方なら皆わかると思うが、世の中には一切会話が通用しない人も少なくない。なので、そういった人をどう処理するのかが接客としての能力だ。疲れても笑顔を絶やさない、感情を表に出さない、丁寧な対応を心掛ける、他にも幾つかの能力が接客には必要である。

 

ぼくにはそれがない。できたとしても数時間も保たない。「ルールを守れない人間に優しくする必要がない」という考えが根底にあるので、頑張りきれないのである。

 

否、頑張りすぎて失った。ぼくにとっての接客業とは消耗品なのだ。今では一切やりたいとは思わない。

 

些細なことだが、街中でティッシュ配りをしていて、通り掛かった人に「駅、どっち?」とタメ口ですら聞かれるのも我慢ならなかった。

 

何故ならそいつは客でも雇い主でも何でもない。どうしてティッシュ配りをしている無関係な人間にそんな言葉遣いができるのだろう、と思ってしまう。ティッシュ配りをしてる人は通行人全員より身分が下なのか。

 

と、こんなことをイチイチ考えてしまうのでぼくには接客は向いてない。

 

勿論「すいません、駅はどっちですか?」と丁寧に聞かれてたら丁寧に接する。詰まるところ店員と客だろうが、人と人だろうが相手に対する心遣いがない人間が嫌いという話だ。

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