こんにちは、小野哲平です。
情報化社会が発展を遂げ、今までテレビの中の遠い存在だった芸能人もSNSの出現でグンと身近に感じることができる世の中になりました。
政治家もスポーツ選手も一般人も誰でも個を発信することができ、顔も知らぬ誰かとコミュニケーションが簡単に取れます。
ネットの世界では物理的な距離の問題はありません。
どこに住んでいようがやり方次第で誰とでも連絡を取れるし、注目を集める発信を続ければ有名人になることができます。
それが現代の世の中です。
ぼくの周りでも芸能関係者に限らず発信を始めてる人がいます。
何度もこのブログに書いてきたように、これからは個の時代。
大衆に流されることなく自分の考えをしっかり持つことが大切であり、その考えを文章化して伝える&自分の脳内を整理することは必須能力です。
ですが、発信を頑張れば頑張るほど付きまとうのが悪意を持った人々。
これは悲しいことに自分の発信力が高まるほど湧いて出てきます。
匿名性がウリのSNSでその魅力を勘違いして攻撃してくる輩。
ぼくも今まで散々いじめられました。
今日はこのネットの悪口について書きます。
かつてのぼくのようにネットの悪口に困っている方に読んでもらいたいです。
それは急にやってくる
ぼくは2012年からアメブロをやっていて、かれこれ9年ほど発信を続けています。
このブログでは閉じていますが、アメブロではコメント欄を開放していて、たまに付くコメントに返信しながら楽しく運営していました。
ブログやってる人なら分かると思うけど、コメントって嬉しいんですよね。
そのコメント欄はアメブロのアカウントを持ってない人でもコメントできるように設定していたので、明らかに知り合いが書いてくれたコメントもあれば、偶然ブログを読んでくれた人が残してくれたコメントもありました。
当時は今みたいなブログではなくて「今日は○○をしました!」といった日常を綴るブログだったので、コメントも「楽しそう!」みたいな平和なものが多かったです。
それがある日、とある舞台の感想をブログに書いたらその日の夜に長文でその舞台を批判するコメントが届きました。
そのときはコメントが承認制じゃなかったので相手がコメントを投稿した途端に、誰でもそのコメントを閲覧できるようになりました。
勿論舞台の感想は人それぞれです。
ですが、自分のブログならまだしも人のブログにやってきてコメント欄で自分の意見をツラツラ書かれるのは、ぼくのブログを楽しく読んでくれる方のお目汚しになると思ったので、ぼくはそのコメントをサクッと削除しました(文章も気味悪かったので)。
そしたら大変。
削除して数分したらまたコメントが来ました。
「そうやって自分と違う意見は削除するんですか?」
みたいな長文でした。
え…
キモっ!!!!
いやいや、こんな人どう考えてもキモいでしょ。
例えばぼくが有名な演劇評論家でその発言に業界が注目してる、その発言に影響力があるなら分かりますよ。
でも普通に見た舞台を「面白かった!」程度しか書いてないブログをわざわざ舞台タイトルで検索してコメント欄に批判コメント書いていくってもう常軌を逸してるじゃないですか。
うわーこんなヤバイ人いるんだー。
と、驚きつつ絶対に関わるのやめよう!と思いました。
通りすがりの悪意
↑で書いた一例は投稿した本人がその舞台に思い入れがあって信念を持って批判しているのかもしれませんが、基本的にネットでの悪口は通りすがりの悪意だとぼくは思っています。
ストレス溜まってる人が通りすがりに「あ、こいつ何かムカつく。傷つけちゃおう!」とクソリプをするのが基本かと。おそらくその人は深く考えてないです。元々そういうことをする用のアカウントを持ってる人もいます。
誰しもが日常での苛立ちを心の奥に抱えています。
でもそれを見知らぬ誰かで発散するってダメですよね。
そのダメな行為を自分の中で正当化しているのがネットで悪口を繰り返す人です。
「ダメだと分かってる行為を正当化している」そもそもの入り口が論理破綻している人間とわかり合えると思うのがおかしな話です。
わかり合おうとか話し合おうという気持ちがない相手と話をしても時間の無駄です。
なのでそういう悪口には一切関わらない。反応しない。
それでいいとぼくは思います。
相手が通りすがりの悪意ではなく論理的思考での指摘の場合はその限りではありません。
でも最初は凹みましたよ
今でこそ関わらない、時間の無駄とはっきり主張しているぼくですが、初めて匿名での悪口をもらったときは凹みました…。
そりゃね…
アメブロはコメントを承認制にして、ぼくが承認したコメントしか表示されないようにしていましたが、その機能って結局一度は全てのコメントを見ることになるじゃないですか?
表示していいかを判断する為にね
だからコメントが届いたというメールを受け取って承認選択をする為にコメントを開くと悪口、なんてこともよくありました。まるでミミックです。
ライブドアブログを開設して質問箱を設置したときも、質問箱が悪意のゴミ箱みたいになってました。
質問が届きました! → 開く → 「ブログつまらねぇよ!」
こんなパターンが多かったですね。笑
トムランドの皆で笑ってました。
相手は嫉妬の塊、承認欲求ゾンビ
ここからは今現在ネットでの悪口に悩んでる方に送ります。
連日悪口が届いてぼくが最高レベルで悩んでるときに友人に言われたのが
「その人たち嫉妬してるだけでしょ?」
という言葉です。
嫉妬してるから執着するんだよ
…なるほど!
その人はぼくよりも何百倍も有名でぼくよりも圧倒的にそういう声を受けてきているので、その人が言うのならそうなのかなと腑に落ちてしまいました。
それと、わざわざ自分の人生の時間を使って誰かを傷つけたいと思うことは依存以外の何者でもありません。
相手に構って欲しいからずっと攻撃を続ける、無視されてもしつこく続ける。
まさに承認欲求ゾンビです。
嫉妬の塊の承認欲求ゾンビに心を乱されても仕方ないし、というかぼくがずっと無視してるのに気にせずにずっとしつこく悪口送ってくるって、どれだけぼくのこと好きなんだよって思いました。
ゾンビに絡まれたら消えるのを待つのが一番です。
どうせゾンビなので殺せません。気にせず次のターゲットを見つけて去ってくれるのが一番です。
つまり相手にしないこと。相手をすると喜びます。
関わらないのが一番です。
発信をやめなさい
ネットでの誹謗中傷が裁判沙汰になるこの頃ですが、それでもTwitterには何も変わらずクソリプが飛び交っています。
芸能人のアカウントなんて日常を投稿しているだけでも負のコメントが付いてきます。
それらはこの時代を生き抜く上で付随するものと考えた方が良いです。
ぼくは思います。
それ…無くならないよ?
自分のことを知らない人達に自分を発信するならリスクは当然付いてきます。
そのリスクを侵した上で理想が手に入るとぼくは考えます。
どうしてこんなこと言われるんだろうと考えるのも時間の無駄です。
だって相手は通りすがりの悪意なのだから。
転がってる石を蹴飛ばしたくらいの感覚でコメントをする人もいます。
そこに理由を求めてはいけないのです。
あなたが軽い気持ちで発信しているのと同じように軽い気持ちで人を傷つけてる人がいます。
基本的にはわかり合う必要もなければ相手にする必要もないです。
なぜなら常識ある人間なら最初からそんなことしません。
「話せば分かる」というのは相手が話をするだけの知性を持ち合わせているという前提条件がないとただの空想です。
だからネットでの悪口は気にする必要はありません。
しかし、そこまで考えても、もしどうしてもツラくて仕方なかったら、
そのときはさっさとSNSをやめてしまいましょう。
こんなものやらなくても生きていけます。