こんにちは、小野哲平です。
先日こんなツイートをしました。
元々舞台でめっちゃ活躍してる人がテレビドラマで知名度上がると各メディアが舞台出てた時期を「売れてないときの下積み」として扱うのそろそろどうにかなりませんかね。
— 小野哲平@俳優ブロガー (@yen_town1014) 2019年6月14日
売れた俳優がそれまでにやっていた演劇活動をメディアが「下積み」と表現することに違和感を感じるのはおそらくぼくだけではないと思います。
これはぼくが初めて提唱することでも何でもなく、もうずっと前から言われていることです。
2017年には作家・演出家の鴻上尚史さんがツイートした内容が沢山の共感を得てRTされました。
舞台でどんなに活躍していようと、テレビ的に売れて初めて、「ブレイク」「長い下積みから脱出」とマスコミに書かれるのはどうにも納得できないと憤慨したのは20年以上前の筧や勝村の時。んでまた、一生で同じ感覚。この国の文化状況は何も変わってない、とまた憤慨。ぷんすか。
— 鴻上尚史 (@KOKAMIShoji) 2017年3月12日
今日はこの件についてぼくの考えを書いていきます。
結論は「演劇は下積みと捉えられても仕方ない、でも演劇は下積みじゃない」です。
「成功=映像で活躍」という構図
メディアが定義している「成功」の前提は「テレビに出ること」です。
テレビドラマで活躍すること。トーク番組やバラエティ番組に出演をして世間一般の知名度を上げることを「成功」と定義しています。
テレビ離れが急速に進んでいるのにいつまでそんなことを言っていられるのか?
ネットの発展によって興味の分岐が多様化しテレビ離れが進んだ現代においても、それでもまだまだテレビは大きな影響力を持っています。
未だにテレビが娯楽の王様
その理由としてぼくが掲げるのは高齢化社会。
日本が高齢化社会と呼ばれてもう何年も経ちますが今は高齢化社会の更に上、超高齢社会に直面しています。
テレビが国民の生活に取り入れられていく時代(1950年代後半~1960年代)を実体験として生きてきた世代にとっては、テレビが生活の一部であることが当たり前であり、テレビと共に生きてきた人生でもあります。
だから高齢者にとってテレビは娯楽の王様。それは今も変わりません。
年齢と視聴時間は比例する
1日あたり何時間程度テレビを見ているのか?
2017年に行った全国視聴率調査によると、20代男性では1時間44分、20代女性では2時間23分などの比較的少なめの数字を記録しているのに対し、50代になると男性で3時間39分、女性では4時間16分という結果に。
それが60代になると男性が4時間55分、女性では4時間47分、70代に至っては男女それぞれ6時間、5時間超えと、相当な時間を毎日テレビ鑑賞に費やしているというデータが出ています(参考 みんなの介護)
ぼくたち世代は徐々にテレビを見なくなってきましたが、それは新しい娯楽に対応ができているからに他なりません。
新しい娯楽や情報経路に触れることがなかなか出来ない高齢者にとっては、まだまだテレビは必需品であり娯楽の王様なのです。
「知らないから有名じゃない」は成立する
超高齢社会の日本において、高齢者に名前と顔を知ってもらえることが有名人へのパスポートです。
知名度を上げることを成功と定義するならば、テレビに出演することは間違いなく舞台の客以外にも自分を見てもらえることなので避けては通れない道です。
そして「自分が知らないから有名な人ではない」というのは多少のおこがましさは感じられるものの、ある種の正論ではないかとぼくは思っています。
だからこそ普段舞台に足を運べない地方の方に知ってもらう為にはテレビに出演することは極めて意味のあることだとぼくは考えます。
しかしながら、ぼくたちが違和感を感じているのは、舞台で活躍している人がテレビ的に売れたときに初めて「成功」と報じられる点です。
次はどうして舞台が「下積み」として捉えられるのかについて考えましょう。
ドラマが欲しい各メディア
それを本人が「下積み」と思っているのかどうかはともかく、「下積み」とした方がメディアが取り上げやすいのは事実です。
長い下積みを経て遂に花開く…
こういったドラマがみんな大好きですし、こういう人生のうねりがあるほうが人に共感性を与えて、より深くその人に興味を持つことができます。
テレビの世界は分かりやすく今が「旬」な人がいて、その人を特集しておけば問題ないという時期が周期的に訪れます。
そして先ほどから何度も書いているように、この国は超高齢社会なので特定の人物を取り上げるときも高齢者が理解しやすいストーリーが必要になります。
その為にテレビに進出する前の期間を「下積み」としてしまった方が物語を作りやすいのではないかとぼくは思います。
良いか悪いか、真実か否かは別問題なのさ
食っていけないのは事実
大事なことなので書いておきますが、感情論として「演劇は下積みじゃない!」と言いたいのは理解できますし、ぼくも同意ですが、実際問題として演劇だけで生活を豊かにしていくのはほぼ不可能です。
どれだけ大きな舞台に出演していたとしても、やはり入ってくるお金は映像には劣ります。
だからこそ皆映像を目指すのです。
アルバイトをしながら舞台を続け、チャンスを掴んで映像に進出する。
そしてバイトをやめることができたのであれば、世間的に「演劇活動は下積み」と認識されたり、そういう風に報道されるのは致し方ないことだとぼくは思います。
もはや「下積み」という言葉が持つイメージの話になってくるような…
芸人は分かりやすい
その点、芸人さんはハッキリしていて気持ちがいいです。
テレビで活躍すれば売れた!!
劇場でどれだけウケてようがテレビで知名度上げて人気が出たら勝ち!
こういうシンプルな構図は気持ちいいです。
舞台をメインに活動=あの人は今?
今までは舞台出身の俳優がテレビに進出してきた場合のことを書きましたが、その逆も当然あります。
映像を主軸として活躍していた方の活動が舞台に変わっていく場合です。
最近多いよね
この場合は演劇→テレビよりも取り上げ方が残酷で、すぐにあの人は今?にされてしまいます。
あくまでもテレビが王様
さすがに舞台よりテレビが格上だと思っている方は少ないと思いますが、これも現実問題として舞台に足を運べない人は多くいます。距離だったり体力だったり。
そして舞台の情報はテレビドラマや映画に比べて、世の中に出回っていません。
東京でしか上演しない舞台の宣伝を地方でしても効果が薄いです。そうなるとテレビでしか情報を得ない地方の人にとっては舞台に活動場所は移した俳優は消えてしまった人です。
残酷だ…
ネットで舞台を観ることもできるとは言え、テレビはまだまだ娯楽・影響力の王様なのです。
日本の高齢社会が進むほどテレビは王様であり続けるとぼくは思います。
「テレビ的に売れる」はひとつの成功
以上を踏まえると、テレビに出ないと成功にはならないし、テレビから消えたら失敗にされてしまいます。
つまり舞台は全国規模のメディアに含まれないということです。
だからこそ「テレビ的に売れる」というのは疑いようのない成功になります。
もう少し言うと、ぼくや鴻上さんが違和感や憤りを感じているのは、ぼくらがこの世界の人間だからという点も大きく関係しているのかなと思います。
演劇に精通している人や関係者は「演劇は下積み」や「遂に花開く」という表現に違和感を覚えますが、結局のところ媒体が違うので影響力の差は埋められません。
演劇は下積みなのか?
問題は「全国区になること」と「演劇が下積み」という異なる二点を混同して論じていることです。
全国区になったからといって今までが下積みというわけではありません。
それらは切り離すべきなのにメディアが混同して報道するため、舞台での活躍を知ってる人が違和感を感じるのだと思います。
演劇界にはテレビでは見ることのできない素晴らしい俳優がわんさかいます。
彼らは自身の表現に誇りを持っています。
その表現の場を何も知らない第三者が「下積み」と言うのは大変失礼です。
もし貴方の周りに「テレビに出ない俳優なんて俳優じゃねえ」という文化的教養のない稚拙な方がいたら優しく舞台のことを教えてあげてください。
長くなりましたが、ぼくの結論は、
演劇は下積みと捉えられても仕方ない、でも演劇は下積みじゃない、です。