こんにちは、小野哲平です。
過去何度か書いているネットカフェの裏話。
今日はその番外編。
2011年3月11日の話を書きます。
東日本大震災。
死者1万人以上の国内最大規模の自然災害。
日本が未曾有の状況に陥ったあの日、あなたはどこで何をしていましたか?
ぼくはネットカフェで働いていました。
今日はそのときぼくが体験したことを覚えている限り詳しく書きます。
誰かに読んでほしい気持ちもありますが、それ以上にこの話がぼくの中だけにずっと留まり続けているのが嫌なので、書きます。
別に誰かを責めたり、自分がこんなに大変だったとアピールしたいわけでもありません。
ただ、書きたいから書きます。
勤務していたネットカフェ
まずぼくが働いていたネットカフェについて。
その店は3フロア。
ビルの5.6.7階がネットカフェになっています。
利用者はまずエレベーターで6階に上がり受付を済ませて、店内の階段で上(7階)か下(5階)へ行きます。
ブースは全部で80席くらい。
ペアシートは二人での利用もできるのでMAX人数はざっと100人強です。
24時間営業でスタッフは常に二人。
- 8時~17時 早番
- 17時~23時 遅番
- 23時~8時 深夜番
↑の時間区分でスタッフが入れ替わり365日24時間休まずに営業しています。
ぼくは早番のスタッフで週6日出勤していました。
店の場所は神奈川県の繁華街。詳しくは書きませんが有名な町です。
ネットカフェ事件簿でも書きましたが、ネカフェの常連客は基本的に民度が低いです。
暴力的だったり高圧的だったり。
でもヤバイ奴ってだいたい夜来るんじゃないの?早番は安全でしょ!!
と思う方もいるでしょうが、夜に入店した方が帰るのは朝。
深夜番は店にぶちこんで終わりです。
なので「お金を持っていない」「非常口から脱走」などのトラブルに遭遇するのは高確率で早番です。
それ以外にも会計で金を投げてきたり、大声出したり、店内のコミック盗んだり、隣客と喧嘩始めたりとなかなかバラエティに飛んだユニークお客様が揃っていて日々精神が磨り減らされるのがネカフェです。
それらを常に二人で対応していました。
当然ながら良心的な(いわゆる普通の)利用者もいますが、いかんせん嫌な思いをした記憶が多すぎて退職した今でもネットカフェに行くのは抵抗があります。
店や勤務形態、利用客の民度の低さをご理解していただいた上で、今回の話に入りましょう。
あの日、ぼくはいつもと同じようにネットカフェで働いていました。
3.11震災発生
その日は後輩の女の子と二人で勤務。
ぼくは受付。彼女はフロア清掃をしていました。
異変に気付いたのは接客中。
カウンターの天井から吊るされているライトが大きく揺れたときです。
揺れたライトをお客様と二人で見ていました。
「地震ですね~」
受付はビルの6階。少しの揺れでもカウンターのライトは揺れます。
過去に何度も揺れるライトを見てたので、ぼくは特に焦ることなく接客を続けました。
「ちょっと(揺れが)大きいですね~」
元々揺れが激しいビルでした。
すると、
ドドドドド!
弱かった揺れが何重にも重なるように強くなり、あっという間に立ってるのがやっとの状態になりました。
嘘!?ヤバイヤバイ。
いつものそれ(地震)とは違う何かが起きている。
誰もがそう感じたあの瞬間です。
カウンター裏は雑誌&コミックスペースでそこには大きな本棚が沢山あります。
陳列してるコミックは一万冊以上。
こりゃヤバイ!そう思ったぼくは本棚にいる客に声を掛けました。
「本棚から離れてください!」
客を避難させた数秒後、何千冊というコミックが一気に本棚から落下しました。
それらは一瞬で本棚前を埋め尽くしました。
揺れは更に激しくなり、ブースからはPCが次々に倒れる音が響き渡ります。
自動販売機からは液体が漏れてきました。
これはただ事じゃないと察した客が次々にカウンターに来ました。
退店処理です。
ぼくはフロアにいた後輩の女の子を呼び、二人体制で次々に客の退店処理をしました。
「これはお金をもらう状況なのか?お金云々ではなくて早く避難させた方がいいのでは?」
そういう気持ちもありましたが、その判断はぼくにはできません。
揺れる店内でひとりずつ利用料金をもらって退店させました。
「ちょっと外の様子見てくる!!あとで払うから!!」と金を払わずに飛び出した中年カップルがいました。彼らはそのまま帰ってきませんでした。
騒ぎに便乗して逃走したのです。
店内は地獄
地震の影響でほとんどの客が帰りました。
しかし普段から店を住処としている常連はいたって冷静で、皆退店ではなく「一時外出処理」をしました。
揺れは弱くなったとて店内は荒れ放題です。
そして地震は続きます。
後輩の女の子が恐怖で震えてしまい、ぼくはまだ動いている自動販売機から水を取りだし彼女に飲ませました。
退店しなかった常連の客がふらふらと受付に来ました。
「今のでブースにジュースこぼれたから拭いてくれる?」
後輩の子が半泣きで「はい」と言いました。
ぼくではなく、確実に後輩の女の子に向かって言いました。
クズだ、と思いました。
それからぼくは店内を確認しました。
客が飛び出して帰ったのでどのブースもゴミやコミックがそのままです。
地震の有無に限らず信じられないくらい散らかす利用客もいます。
どうしたらこんなに汚く使えるんだろう、とぼくはいつも思っていました。
ブース内のPCがひっくり返ってる席も幾つかありました。
飲み掛けのコップが倒れて水浸しになってる席もありました。
地震が起きたことにも、大きな揺れによってブースの扉が開いてることにも気付かずに、扉全開でアダルトコンテンツを鑑賞して自慰行為に勤しんでいるおじさんもいました。
完全に地獄でした。
事務所が開かない
店内を一周してある程度状況を把握したぼくは女の子に、「すぐに家族に連絡をとった方がいい。事務所行っていいよ」と言い彼女を事務所(スタッフの待機場所)に行かせました。
ぼくたちは携帯を持ちながら勤務することを許されていないのでプライベート荷物は全て事務所にあるのです。
よろよろと彼女が事務所のある7階に上がっていきました。
その後ろ姿を見て、今この店を守るのは自分しかいないと思いました。
受付横の自動販売機の下は水溜まり。本棚付近は数千冊の本が落ちて歩けません。
やることは多く、動ける人間はぼくしかいません。
事務所に行ったはずの彼女が戻ってきました。
「小野さん…事務所が開きません…」
事務所に入ってすぐの場所に積んであった食品(カップ麺、スナック菓子)の段ボールが無造作に崩れてしまい、それがちょうど事務所の扉の開閉を妨げていました。
押しても段ボールに引っ掛かって開かない。
後輩と受付を交換してぼくは事務所を開けることにしました。
思いきり押して僅かに開く扉の隙間から指を突っ込み、少しずつ段ボールを持ち上げる。
指が千切れそうになりながら段ボールの位置をずらし、扉の可動域を広げます。
指の感覚と引き換えに事務所にどうにか入れる状態になりました。
あのときの指の痛みは今でも覚えています。
交通機関麻痺が及ぼした二つの影響
ご存知のようにあの日は交通機関が停止しました。
それが店に及ぼした影響は二つ。
スタッフ出勤不可と避難所化です。
スタッフ出勤不可
早番の次の時間帯に勤務する遅番。
遅番スタッフから「電車が動かないので出勤できない」と連絡がありました。
遅番二人のうち、ひとりは来れるそうです。
一緒に勤務していた後輩の女の子の家族が店に迎えに来ました。
娘が心配になって店まで来たそうです。
親の顔を見て泣きじゃくる女の子。
彼女を残すわけにはいきません。
しかし店は回さないといけない。
ぼくは通しで遅番をやることに決めました。
17時から23時までの6時間残業です。
ここでひとつの疑問が浮かんでくるでしょう。
社員はどこにいるの??
これが…正直あまり覚えていません。
あのときすぐに店に駆けつけてくれたのですが、そのあとに本社に行くとか何かで店を離れた気がします。
頼りにならなかった印象もありませんが、助けてもらった記憶もないです。
間違いなく言えるのは、彼らはスタッフよりも店を守ろうとしていました。
それが正しいのか否かはさておき、です。
避難所になった店内
一度は利用客が一桁代まで減少した店内にひとり、またひとりと客が増えてきました。
電車が止まった影響で宿を探す人がネカフェに流れてきたのです。
夜を迎える前に瞬く間に店内は満席になりました。
地震発生時に退店ではなく、一時外出処理をしていた常連客はここまで見越していたのでしょうか。
余裕たっぷりで外出から帰ってきます。
空いてるブースはないのに、どうにかして宿を探そうとする人が次々に店に現れます。
近隣のネカフェを彷徨い歩いている人が沢山いました。
店長の判断で受付前の空間や本棚の隅を解放して、入店できない人が空いてるスペースに座ることを許可しました。
店は避難所となりました。
我が身だけを守る人々
ここで忘れてほしくないのは、店内にスタッフは二人しかいないことです。
受付にひとり、フロアにひとり。
受付業務以外のことを全て担当するのがフロアです。
全席満席で店内には100人以上の人がいます。
受付周りには何人もの人が座り込んでいます。
ビルのエレベーターは停止してしまったので、利用客は非常階段で上がってきます。
店の受付は6階。
6階まで上がってきて満席と知ったおっさんが怒鳴り声をあげました。
「下に満席って書いとけよ!!!」
勘のいいヤツは皆が気付く前に店内で販売してるカップラーメンを大量に購入しました。
行動が早かった数名が大量に購入して店から食品が消えました。
「カップ麺、もうありませんか?」
「裏にあんだろ!出せよ!!!」
隣のブースがうるさいから注意しろとカウンターに怒鳴り込んでくる客もいました。
近くまで行くと、若い女性が二人、カフェにいるかの如くブース内で楽しそうに話していました。
あの日に、です。
ぼくは利用客から言われたことをひとつひとつを機械の如く対応しました。
どうしてこの人達は、この状況で周りのことを考えずにこんな横柄な態度が取れるんだろう。
震災だぞ。人が次々に死んでるんだぞ。
ぼくにも家族がいます。友達もいます。
しかし誰もそんなことを気にせずに、ねぎらわずに、
ただそこにいるスタッフに要求を繰り返しました。
ぼくは時給950円の奴隷でした。
そこに人間はいなかった
深夜番がタクシーで来てくれたので、ぼくは23時まで働き退勤しました。
しかし次の日も早番。
帰ることはできないので事務所の椅子に座ったまま仮眠です。
事務所は狭く横になることはできません。
出勤前以来に外に出ました。
コンビニの食品棚が綺麗にカラになってるのを見て、そういう状況なんだなと思いました。
店に戻ると、まだ文句を言ってる客がいました。
他者を思いやることもできずに、誰かの犠牲の上に自分だけがいい思いをして、
それで生き存えた命にどれだけの価値があるのだろう。
目の前でスタッフが過労死しても、でも俺は生きてるからラッキーって思うのだろうか。
人はどこまで醜くくなれるのだろう。
そんなことを考えながら眠りについて、次の日も朝早くから利用客の奴隷になりました。
あの日、多くの尊い命が失われた日。
ぼくが働いていたネットカフェに、人間はいませんでした。
ネットカフェでのバイト中。店員は二人。激しい揺れで一万冊以上ある本は全て本棚から落ちた。ブースのPCはひっくり返った。客は皆、我先に店を飛び出した。勘の良いやつは店の食料を買い占めた。同僚の女の子は怖くて泣いていた。まともに動けるのはぼくだけだった。#東日本大震災から8年
— 小野哲平@俳優ブロガー (@yen_town1014) March 11, 2019
「泣いてないで部屋の掃除に来てよ」と平然と言ってのけるゴミがいた。ぼくは一人で残った客の対応をした。しばらくすると交通機関が麻痺した影響で人が殺到した。店はあっという間に避難所になった。
— 小野哲平@俳優ブロガー (@yen_town1014) March 11, 2019
従来のシフトのスタッフが来れずぼくは夜中まで働いて店で少し寝て早朝からまた働いた。暴徒の対応もした。
— 小野哲平@俳優ブロガー (@yen_town1014) March 11, 2019
皆が家族の心配をして肩書きや役職を捨てて「個人」になったとき、ぼくはずっと「店員」だった。
ぼくはあのとき自然の怖さよりも人間の底知れない醜さを知った。
少なくともぼくが働いていた店で見知らぬ誰かを助けようとする人間はひとりもいなかった。皆、自分だけを守り、一人しかいない店員のぼくを召し使いのように扱った。
— 小野哲平@俳優ブロガー (@yen_town1014) March 11, 2019
今でも時折思い出す。
あの店に人間はいなかった。