こんにちは、小野哲平です。
このブログを訪れた方が「どんな検索ワードで辿り着いたのか」を眺めるのがぼくの日課です。
検索をするという行為は「何かを知りたい」という気持ちの表れ。
そこには色んな方の知りたいことが詰まっています。
その中でこんな検索ワードでこのブログに辿り着いてる方がいました。
「嫌いな人 距離を置いたらもっと嫌いになる」
これだけではなく、人間関係の悩み検索で当ブログに到達してる方が少なくありません。
結果として表示されてる記事はこちらの記事。
↑の記事が誰かの悩みを少しでも解決に導く道標になっていたら幸いです。
そこで、今日はこの記事の派生記事として、「嫌いな人を好きになる必要なんかない」という記事を書きます。
その理由も含めてかなり突き詰めてぼくの意見を書くので是非ともお読みください。
嫌いと言ってはいけない空気がある
まず質問です。
あなたには今、嫌いな人はいますか??
パッと頭に特定の人間が浮かぶ方もいるでしょう。
はい!あの人が嫌いです!!
と、勇ましく宣言してくれる人もいるでしょう。
でも、ぼくの経験上ほとんどの人が「いません」か、遠慮がちに「…います」と答えます。
それは何故か。
では、質問を変えます。
あなたには今、苦手な人はいますか??
この質問には、ほぼ100%に近い人が「はい」と答えるでしょう。
え、苦手な人は嫌いじゃないの?
違いますよ~「嫌い」ってほどじゃないって意味ですよ。
軽く暴論かまします。食べ物に例えてください。
「ピーマンが嫌い」と「ピーマンが苦手」。
これって同じじゃないですか?
結果としてどっちもピーマン食べれないですよね。
「苦手」は食べれるんじゃないすか?
でもその子にピーマンあげようとは思わないよね?
それは…そうっすね
じゃあ嫌いなんだよ
この問題は突き詰めると「嫌いと苦手の境界線は何だ?」という話になるのですが、ざっくり本質的なことに触れると、
心情的には「嫌い」って言い切りたいけど角が立つから違う言葉を使っている、
でしょうか。
いやわかりますよ。
それでも「嫌いじゃなくて苦手!」って言いたい人の気持ちは。
言い切りたくないんですよね。
ぼくもそうです。
これ日本人あるあるだと思うんですけど、
嫌いって言い切ってしまうと謎の罪悪感があるんですよね。
なんか…
嫌いって言っちゃいけない空気ありません??
人を嫌いになるってのは、それなりの覚悟しろってことだからな
ぼくの大好きな映画バトル・ロワイアルにこんな名言があります。
「人を嫌いになるってのは、それなりの覚悟しろってことだからな」
無責任に大人を嫌う現代社会の子供たちに向けられた痛烈なメッセージである。
言われてハッとする名言ですが、多くの人は言われるまでもなく、この言葉の意味を感覚的に理解してるとぼくは思います。
「嫌い」と言い切ってしまうと何らかの責任が生じてくるから「苦手」という表現で逃げる。
端的に言うのではあれば、嫌いになるなら嫌われる覚悟をしなければいけない。でもその覚悟はないから言わない。
というところです。
それは大いに理解できます。
ですがあえて言いましょう。
明言するかどうかの違いがあるだけで、心情的には「嫌い」も「苦手」も本質は同じです。
嫌いと明言するのは避けても、
結局嫌いなんでしょ?だったら同じだよ。
嫌いと思うことは悪ではない
上記の「覚悟がないから嫌いと言えない」だけでなく、そもそも「嫌いと思ってはいけない人」もいると思います。
そう教育されてきたのかもしれません。
でも大丈夫。
嫌いと思うことは悪でも何でもないです。
無理しなくていいです。嫌いなら嫌いでいい。
何も恐れることも恥じることもない。
家族だろうが友達だろうが誰だろうが嫌いなら嫌いでいいんです。
その理由をこれから書きます。
そもそも万人と合うわけない
極論ですがそもそも万人に好かれる人間などいません。
芸能人のランキングを見れば明らかです。
好きな人ランキングに入ってる人は嫌いな人ランキングにも入ってることが多いです。
知名度のある芸能人と一般人を同じ物差しで測るのは些か強引な論法のような気もしますが、実際同じことです。
あなたがどれだけ良い人間でもあなたを疎ましく思う人間はいます。
昔話をしましょう。
ぼくが中学生のとき、男女隔てなく話してて勉強もスポーツも出来る人気者の女子がいました。
でもその女子は一部の女子グループからめちゃくちゃ嫌われていました。
その理由は何か。
ぼくは直接聞きました。
なんで嫌いなの??
彼女たちはこう言いました。
あいつが人気者だから。
……!?
!?
!?!?
は??って思いませんか??
その理由で人を嫌いになるのではあれば、もう何でもありの無法地帯です。
別に彼女が何かしたわけではありません。
ただ彼女という存在が、自分が持つパフォーマンスを全うしているだけで周りにはそれを面白く思わない人が現れるのです。
単純に人気者と嫌われ者の対立構図ではないから厄介なのです。
それを聞いたおのぺー少年の気持ちはこうです。
そうです。もう無理なんです。
Aというモノに価値を感じてAに近付こうと努力する人間に対して、Aに一切価値を感じず、更にAに近付こうとする人間に嫌悪感を感じる別の種類の人間がいるのです。
もう分かりましたね。無理なんです。
はい、もう無理!!!
完全なる無理ゲーです。
万人に好かれてる人なんてこの世に一人もいません。
ドラえもんだって嫌われている
ここで衝撃の事実。
みんな大好きドラえもんだって「ドラえもん 嫌い」で検索するとめちゃくちゃヒットします。
あいつのどこが嫌いなんだ!!青くて丸くてかわいいじゃないか!!
もう意味分かりません。
あのドラえもんを嫌いな人がいるのにあなたが嫌われない理由なんかないじゃないですか。
ためしにあなたが好きで好きで仕方ない有名人やキャラクターを「嫌い」という言葉と合わせて検索してみてください。
絶対出てきます。
ぼくのことが嫌いな人だっていっぱいいると思います。
悲しいけどこれ真実なのよね
だから万人に好かれるのは無理。これをちゃんと理解しましょう。
嫌いな人など関わらなくていい
ここで本記事の主題に戻ります。
嫌いな人は嫌いなままでいいです。
理由は↑に書いたとおり。
仮にドラえもんのことをめっちゃ嫌い人がいて、その人に「ドラえもん最高だよ!好きになってよ!!」って説得しますか?
別にしないっすね
色んな人がいますからねぇ
そうなんです。
「別にそういう人もいるよね」で終わりですよね。
ドラえもん嫌いなら、別に嫌いでいいんじゃない?
そう思いますよね?
そう思うなら自分のことも同じです。
ドラえもんを嫌いな人が嫌いなままでいいように、あなたが誰かを嫌いなら嫌いなままでいいんです。
でも、それでいいのかな?
人のことは「それでいい」と思えるのにどうして自分だとそう思えないのか?
それは前述の通り、人を嫌いになってはいけないような空気があるからです。
でもその空気って、
クラス皆で仲良くしましょうねって学校教育が生み出した虚構ですよ。
だいたいたまたま同じ地域に住んでただけの同い年の寄せ集めが、親の職業も哲学も違うのに仲良くできるなんて根拠、どこにあるんですか。
つまりその教育方針が間違っているのです。
本来学校で教えるべきなのは、
- 世の中にはあなたと価値観が合わない人間がいる
- その人とは絶対にわかり合えない。
- でも傷つけてはいけない
- それぞれ干渉しないように平和に暮らしていこう
ってことです。
だから嫌いなら嫌いで問題ないんです。
万人に好かれることが無理ゲーなんだから、万人を好きになることも無理ゲーです。
前半を理解してる人は多いけど後半が本当の意味で理解できてない方が多いです。
だから好きになろうとする努力やマインドチェンジに取り組んで疲弊してしまうのです。
嫌いな人がいても何もする必要はありません。
攻撃しても復讐を生み出すだけです。
何もしない。関わらない。干渉しない。
好きになる努力もしない。何もしない。
それでいいです。
何かのキッカケで自然に好きになるかも知れないし、
時間が経てば何とも思わなくなるかもしれません。
ラクに過ごせばいいんです。
なので、嫌いな人がいる自分に悩んでいる人は悩む必要など一切ありません。
だってそれが普通なのだから。
嫌いな人なんて嫌いなままでいいんですよ。無理に好かれようとしたり好きになろうとするから疲弊するんです。そもそも全員と分かり合うなんて不可能なんだから「あ、この人嫌い」と感じたら「嫌い」でいいんです。わざわざ相手に言うことではないけど、嫌いな人がいることは極めて「普通」のことです。
— 小野哲平@俳優ブロガー (@yen_town1014) February 3, 2020