中村橋之助。
携帯電話が鳴り着信画面にこの名前が出ると、どんなに眠たい時でも緊張で一気に目が覚めました。
家の中でひとりでいるのに何故か背筋を伸ばして電話に出ていました。
電車内で掛かってきたときは必ず次の駅で降りて掛け直していました。
怒られたこともありました。
ぼくがつかこうへい劇団のオーディションに合格したときは我が事のように一緒に喜んでくれました。
喜びも悲しみも、携帯電話に浮かぶその名前には数えきれない程の沢山の思い出があります。
襲名興行の幕が開いて、当たり前ですが橋之助さんは周りの方から芝翫さんと呼ばれるようになり、ぼくは戸惑う時間も余裕もなく、裏方としてその変化に順応していかざるを得なくなりました。
そんなある日、芝翫さんから電話をいただきました。
でも携帯電話に浮かんだ文字は「中村橋之助」。
「そっか、登録名も変えなきゃいけないんだ」
そのときぼくは初めて、電話帳の名前も変えないといけないことに気付きました。
急ぎの用事など、今の橋之助さん(四代目)と勘違いして仕事をミスるわけにいかないので。
その気になればその作業は一分かからずにできます。
でもそうすると…何て言えばいいんだろう。
なんか、寂しさがあるんですよね。
沢山の思い出があるその名前を変えるのがとても切なく思います。
襲名は勿論、一点の疑いもなくめでたいことなので、芝翫さんが芝翫さんと呼ばれることは関係者の末席にいる、ぼくにとっても震えるほど喜ばしいことです。
でも携帯電話に浮かぶその文字には、実際にお会いするときとは違う影響力がぼくにはあって、それがなくなるのは、何かひとつ大きな欠片が携帯電話から抜け落ちるような感覚です。
めでたい襲名の裏側でこんな些細な切なさがあるとは思いませんでした。
ですが変えないわけにはいきません。
電話帳の三代目中村橋之助とは今月でお別れしようと思います。
来月から新しく登録される「中村芝翫」と、また一から思い出を作っていければと思います。
親指ひとつの襲名。
今までの思い出を大切に、丁寧に一文字ずつ消して、新たな気持ちで一文字ずつ入力します。
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