コラム(不定期更新) 怖いネカフェの話

やれるうちにやれることを こころをこめてやるのがいいよ

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紹介

こんにちは、小野哲平です。

これはぼくの人生に大きく影響した話です。
少し長くなりますがよければお読みください。

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出会い

数年前の話です。

ぼくが働いているバイト先に新人が入りました。

いつも笑顔で明るい、元気な女性でした。

初対面の印象は「背が高い」

180cmのぼくよりは低いですが、それでも女性にしては高身長の方だったと思います。

年齢はぼくの一つ上

その職場でぼくより年上のバイトはいなかったので、なんだか意外な後輩でした。

そのバイト先は仕事内容といい、労働条件といい、今思うとブラックきわまりないところで、ぼくは正直やる気がなく適当に働いていましたが、彼女はそんな環境でも文句一つ言わずに一生懸命働いていました。

どうしてそんなに頑張るんだろう、とぼくは思いました。

いや、違うな。

バイトなんて適当にやりゃいいじゃんって思ってたのかな。

しっかりしているようで天然な部分が多く、真剣に言い間違いをしたりするので場が和み、いつしか彼女は職場のムードメーカーになっていました。

与えられた理不尽な仕事を全力でこなしてる彼女を見て、ぼくは少し心配になるときがありました。

ただ自分に何が出来たのかと言われると、きっと何もできなかったのだと思います。

交流

彼女とは昼休みに何度か一緒に外食をしました。

元々年齢が近いので、最初こそは職場の先輩後輩の関係でしたが、時間が経って彼女が仕事を覚えて成長するにつれ、そんな関係はどうでもよくなり、ぼくらはどちらも敬語を使うことなく友人として接していました。

彼女は女優を目指していて、ぼくも俳優を目指していたので、よく夢の話をしました。

彼女はとても勉強熱心で有名な戯曲をよく読んでいました。

役者になりたいと語る人は多かれど、しっかりと先人の作品を勉強してる人は周りにいなかったので
ぼくからすれば、彼女は真面目に夢を追いかけている印象でした。

ただいかんせん、良い人すぎる

芸能の世界、特にプロになりきれてない小劇場の世界は、詐欺まがいの話が横行しています。

ぼくも夢を見させられて悪い大人にお金を支払ってしまったことがあります。

そんな話だらけです。

そのときぼくも彼女もそこまで若くなく、男性よりも移り変わりの早い女優の世界では、
その年齢で今の位置にいるようでは厳しいのではと、ぼくは内心彼女に思っていました。

完全に余計なお世話です。

ただ、沢山の夢や理想を語れども現実との距離は計り知れず、そのときはぼくも彼女もただその職場で働くだけの毎日でした。

人生観

彼女は他にもバイトをしていました。

ここでのバイトが朝から夜まで、それから移動して深夜まで居酒屋で働いているというのです。

別に珍しい話ではありません。

ぼくも朝から夕方まで働いて、仮眠をして夜から朝まで働くという生活を2年続けていました。

ただお金の為、生きる為です。

生きる為にお金が必要だからそれだけの為に働く。

それは肉体的にも精神的にもとても過酷なことでした。

 

生きる為に働いてるのに、働き過ぎで生きてる気がしない

 

本末転倒です。

彼女には父親がいませんでした。

亡くなったのか両親が離婚されたのかは詳しく覚えてませんが、彼女は母親と二人で暮らしていました。

母親との生活費も彼女が稼いでいました。

だからバイトを掛け持ちしなければいけなかったのです。

 

環境で夢を諦めたくはない

 

彼女はそう話していました。

それは間違っていません。絶対に間違っていない。

でも、もっと他の方法があったのではないのか?

当時の彼女は命を削って生きてるように思いました。

悲劇

耐えきれずにぼくはそのバイト先を辞めました。

適当に我慢してやっていたのですが、身体がストレスを抱えてしまい食事ができなくなったからです。

彼女はまだそのバイトを続けていたので、それからはたまに連絡を取る程度の関係になりました。

それとTwitter

相互フォローになってるので、互いの近況は何となくツイートで知ることができました。

こういうときTwitterって便利ですよね。

わざわざ直接連絡することがないときも友人の近況が知れる。

本当に価値あるものだと思います。

 

しばらくして彼女が乳癌になったことを知りました。

彼女自身がTwitterで公表しました。

 

体調が優れないつぶやきを繰り返していたので、気になってはいましたが、まさか癌だとは。

それからのツイートは乳癌に関するものになりましたが、明るい彼女らしくツイートはポジティブなものが目立ちました。

ぼくはその文面だけを見て、彼女はそこまで悪くないと勝手に思っていました。

 

ある日、彼女が入院するという投稿をしました。

 

それからツイートは闘病日記になりました。

ぼくが最後に連絡をしたのはこの時期です。

 

でも、それでもずっと明るいツイートが続いていました。

 

元気になったらどこどこに行くんだ!

今日は○○ちゃんが来てくれた!!

 

勉強熱心な彼女だけあってドラマの感想も多かったです。

しばらくして彼女がこんなつぶやきをしました。

 

これからは弱気な自分も認めてつぶやきます。

こわいよ
痛すぎる
苦しくて何もできない

そういった言葉が並ぶようになりました。

 

素敵な写真や愉快な話題で溢れているTwitterのタイムライン。

ぼくは彼女の投稿を見つける度に、
そのひと文字ひと文字を噛み締めるように読んでいました。

残した言葉

弱気な言葉もありましたが彼女は最後まで生きようとしていました。

負けない。

何度もその言葉を繰り返しました。

お母さんと話せて幸せ☆

そんな言葉もありました。

彼女の存在はぼくにとってとても意味のあるものでした。

 

ここまでお読みくださりありがとうございます。

 

最後に、この言葉を忘れないでください。

やれるうちにやれることを
こころをこめてやるのがいいよ

 

これは彼女が投稿した最後から二番目のつぶやきです。
死を目前にした彼女からのメッセージです。

いつの間にか、一つ上だった彼女より年上になってしまいました。
30代は彼女が過ごせなかった時間です。

ぼくたちは今、
彼女が生きたかった明日を生きています。

毎日、こころをこめて。

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